2016年11月18日金曜日

福島原発事故が起きて4年経過した2015年04月01日から04月05日の「阿智胡地亭の非日乗」の記事  その2

2015年04月03日(金)
世論反発を懸念、国が先手 菅氏・知事会談へ、沖縄タイムス
2015年4月2日 16:45

官房長官がこれまでの姿勢を一転させ、知事と会談の意向
世論の反発を懸念、沖縄訪問で低姿勢をアピールする狙い
知事は新基地反対の立場を主張する意向で、溝が埋まる様子はない

翁長雄志知事との面会に応じてこなかった菅義偉官房長官が一転、1日の会見で4日にも会談する意向を示した。

政府は名護市辺野古への新基地建設に理解を得たい考えだが、翁長氏は「(新基地反対という)私の考えをしっかりと説明する」と県の立場を主張する意向で、溝が埋まる様子はない。そんな中での政府側からのアプローチは、辺野古をめぐる世論の批判から逃れるための国の“先手”との見方も浮上している。(東京支社・大野亨恭、石川亮太、政経部・銘苅一哲、大城大輔)

 「今聞いた」。キャンプ瑞慶覧・西普天間住宅地区の跡地利用に関わる県企画部の幹部らは1日夕、報道陣から菅氏来県を知らされ驚きを隠せなかった。

 まさに急転直下の電撃会談-。だが、政府関係者は4日の会談は「既定路線だ」と否定する。

 「西普天間の返還は負担軽減の象徴。これほど政府のPRに適した時期はない」。政府関係者は、以前から西普天間の式典へ菅氏が参加する予定が組まれていたことを明らかにした。

 関係者によると、翁長氏との面会をめぐり与党内からも政府の対応を疑問視する声が出始め、首相官邸は「6月の慰霊の日まで引っ張れば、国会論戦がもたない」(政府高官)と早期の会談が必要との判断に傾いた。

■「政府の土俵に」

 さらに、官邸は岩礁破砕許可の取り消しをめぐり県と政府が対立したことで、政府への世論の批判が強まってきたことを警戒する。

 政府関係者は「今は政府と会わない方が『政府が悪く、県は被害者』との構図がつくりやすい。県はそこを見据え、今はあえて政府と接触しないようにしている」と指摘。「そんな中、逆にこちらから出向いて会う。つまり政府の土俵に県を引きずり込むということだ」と会談の狙いを語る。

 別の政府関係者は、菅氏が翁長氏と沖縄で会談する意義を強調する。「東京に呼び寄せて会うよりも、沖縄に足を運ぶことで地元に寄り添うとした政府の姿勢を示すことができる」と指摘。「丁寧に進めようとする菅氏らしい」と語った。

■首相訪米を意識

 「会いに来ることは一向に構わない。だがたとえ会っても議論は平行線だ」。県幹部は菅氏来県の一報を冷静に受け止めた。

 県議会与党会派代表者の一人も「岩礁破砕をめぐる沖縄防衛局、農相の茶番の一方、知事にも会わない状況に本土でも政府の『沖縄いじめ』への批判が高まっている。マイナスイメージを払拭(ふっしょく)したいだけだろう」と分析する。

 与党幹部の一人は「月末にも訪米する首相がオバマ大統領に地元へも説明していると伝えるためでは」と予測。同時に、会談後も政府の辺野古推進の姿勢は軟化しないと述べ皮肉った。

 「負担軽減担当相が負担を押しつけにくるだけだ」
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菅氏、辺野古賛成「多くの民意ある」、琉球新報
2015年4月3日

【東京】菅義偉官房長官は2日の記者会見で、米軍普天間飛行場の辺野古移設計画について「辺野古移設に反対する人もいれば、逆に普天間の危険性除去、一日も早く解決してほしいという多くの民意もある」と述べ、移設に賛成する意見の方が多いかのように主張した。

上京中の翁長雄志知事が同日、菅氏との会談をめぐり、辺野古移設反対を菅氏に伝達する考えを述べ「民意を理解していただく」などと語ったことに反論する形で答えた。世論調査や昨年の選挙結果でいずれも移設反対意見が多く、菅氏の発言は事実誤認だとの指摘が上がっている。

 琉球新報が一昨年12月から昨年11月までに実施した3度の世論調査では、7割以上が辺野古移設反対と答えている。昨年、辺野古移設が争点となった名護市長選や知事選、衆院選では、いずれも辺野古移設に反対する候補が当選している。

 翁長氏も選挙結果を念頭に、移設反対が「民意」だと明言しているが、菅氏は賛成が「民意」として、事実と異なる見解を示している。

 翁長氏はこの日、山口俊一沖縄担当相と会談後、都内で記者団に対して、昨年の県知事選で掲げた辺野古移設反対を堅持する意向を強調。米軍基地が戦後に強制接収されたことなどを説明し「沖縄県は自ら基地を差し出したことは一度もない」と訴えた。

さらに「日本の安全保障は国民全体で考えてもらいたい」と沖縄の米軍基地の過重負担を訴えた。

 翁長氏と菅氏の会談は5日午前、那覇市内のホテルで開かれる予定。菅氏は4日に来県し、キャンプ瑞慶覧・西普天間住宅地区の返還式典や、自民党県連の大会に出席する。

関係者によると、経済界や仲井真弘多前知事との会食なども調整している。
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第一原発ALPS廃液容器漏れ 外部流出なし 東電発表、福島民報
2015/04/03 09:01

 東京電力は2日、福島第一原発の汚染水処理で出た廃液が保管容器から漏れ出た可能性があると発表した。保管容器はコンクリート製のケースに収められており、外部への漏えいはないとしている。

 多核種除去設備(ALPS)の処理で出た汚染物質が凝縮された廃液で、保管状態を確認していた作業員が2日、容器の上部に液体がたまっているのを見つけた。

容器内の水素を排出する穴から漏れ出た可能性がある。液体の放射性物質の濃度や量を調査している。
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<楢葉準備宿泊>「帰る家がない」厳しい現実、河北新報
2015年04月03日金曜日

 東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県楢葉町で、避難指示解除に向けた3カ月間の準備宿泊が6日に始まる。

全住民が避難した自治体では初となる。原発事故から4年。機能が停止した町での長期宿泊、その先の帰町には厳しい現実も待ち受ける。

 「泊まろうにも、帰る家のない町民が大勢いる」。3月25日の楢葉町行政区長会で、政府が準備宿泊の実施を説明すると、複数の区長が異を挟んだ。

 楢葉町には2000軒強の一般住宅があり、うち東日本大震災の損壊で約470軒が解体される。避難に伴う荒廃家屋も含めると、計約500軒が取り壊されるとみられている。

 残る住宅の多くも修繕が必要だが、新築も修繕も人手不足で長い順番待ちが続く。宿泊可能な家がどのくらいあるのか、町も把握できない状態だ。

 国と町は帰還に向けて環境整備を進めてきた。生活圏の除染は2013年度末に終わり、上下水道や道路も一部を除き復旧。昨年6月には役場機能の一部を本庁舎に移し、JR常磐線も町内で運転を再開した。

 インフラが整いつつあるとはいえ、生活の基盤は失われたままだ。

 日常の買い物ができる店は仮設商店街のミニスーパーと2軒のコンビニエンスストアだけ。医療機関、金融機関は再開せず、郵便業務も完全ではない。いわき市に避難する男性(71)は「準備宿泊で戻っても、生活のために、いわきに通うことになる」とこぼす。

 未除染の森林や局所的に放射線量の高い場所があるなど被ばくへの不安は根強い。除染廃棄物の仮置き場は24カ所、保管袋数は約56万7000に上る。

 楢葉町は国との協議で、期限を設けず宿泊を可能にし、生活基盤がある程度整った時点での避難指示解除を求めてきた。国は「帰る、帰らないは個々の判断」と説明するが、解除時期は財物賠償の額や精神的賠償の期間に関わってくる。

 町関係者は「人が住まないと商店も再開できない。町の内側から復興への動きをつくる」と宿泊の重要性を指摘。ただ町の機能を取り戻せるかどうかについては「3カ月ではとても無理。コミュニティーの形成も含め、長い時間が必要だ」と強調する。

[楢葉町]2715世帯、人口7438(2月1日現在)。東京電力福島第2原発が立地する。第1原発事故で大半が避難指示解除準備区域に指定され、出入りや復興に必要な事業の再開は可能だが、宿泊は原則できない。町民の8割超が避難するいわき市に仮役場、仮設住宅がある福島県会津美里町に出張所を置く。14年5月に「15年春以降の帰町を目指す」と表明した。
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知ってますか?赤穂浪士の中に中国系日本人がいました。
忠臣蔵に登場した中国人三世

赤穂浪士のなかで最も日本人的な、おっちょこちょいとして描かれている人物が、武林唯七(たけばやしただしち)ですね。

大石内藏助がぐずぐずしていると、「早くしましょう」とせっつきます。堀部安兵衛と並んで、潔い男として描かれていますが、彼は中国人三世です。

愛新覚羅氏が勃興し、清が明を滅ぼします。それを嫌がって多くの人が国外に逃亡した。こうして華僑がアジア各地に広がったのですが、武林唯七のおじいさんもその一人でした。浅野家に医者として仕え、お父さんの代から侍になったと思います。

中国の浙江省に抗州があり、近くに武林という村があります。自分の村の名前をつけたのでしょうな。武林唯七のような人物がいたことは大きいですね。江戸時代でも海外から来たオランダ人や中国人が、日本の生活文化を膨らませてくれました。

同国人だけでは刺激が少ないですね。政府が何であろうと、われわれ日本人は日本の中にせっかく住んでくれている外国人を友人にしたほうがいい。

いろいろなものを教えてくれます。

教えてくれない韓国・朝鮮人もいるかもしれませんが、それでも苦しみは持っています。少なくとも、苦しみは教えてくれます。

   (司馬遼太郎 全講演 第二巻)

もっとも日本的とされる赤穂浪士。その中に中国人の三世がいた。

遅く来たか早く来たかの違いだけで、平安時代初期の815年(弘仁6年)に、嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑である『新撰姓氏録』には「諸蕃」のくくりで渡来人系の姓氏があげられている。

「諸蕃」の姓氏とは、渡来人系の氏族で、秦、大蔵など326氏が挙げられている。

諸蕃氏族は、さらに5分類され、「漢」として163氏、「百済」として104氏、「高麗」(高句麗を指す)として41氏、「新羅」として9氏、「任那」として9氏がそれぞれ挙げられる。

また、これらのどこにも属さない氏族として、117氏が挙げられている。

当時の日本人は現在のアメリカ人のように移民や渡来がごく普通の事として受け止められていたのだろう。


武林隆重 Wikipediaから部分引用

三代目市川八百蔵扮する武林唯七(勝川春英画)

武林 隆重(たけばやし たかしげ、寛文12年(1672年)-元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。通称は唯七(ただしち)。

隆重の出自

隆重の祖父は、文禄・慶長の役で日本軍の捕虜になった明軍所属の孟二寛である。孟二寛は、古代中国の思想家孟子の後裔(六二世)として浙江省杭州武林に生まれ、医学を学んで育ったという。

日本へ連行されたあとは長州毛利家に身柄を押さえられた(一説に戦争捕虜ではなく、長州へ漂流してきたところを毛利家に捕まったのだともいう)。

毛利家、さらにその後には浅野家に医学を持って仕えるようになり、日本の士分に取り立てられて、故郷の「武林」を氏として「武林治庵士式」と改名した。さらに日本人の渡辺氏から室を迎えると、このときに妻の姓をとって「渡辺治庵」と改名する。

その間に生まれた子が隆重の父の渡辺式重である。式重には男子が二人あり、兄の渡辺尹隆が渡辺家を継ぎ、次男の隆重は分家することになったが、この際に祖父がかつて使った「武林」を家名として使うこととし武林家を再興した。

・・・・・・・・・

討ち入りの際には隆重は表門隊に属して屋内に突入した一人である。

しかし1時間あまり、赤穂浪士たちは屋敷をくまなく探索したが、吉良義央は見つからなかった。明け方ちかく、隆重たちが炭小屋に矢を射掛けると、二人の敵が飛び出してきた。敵を斬り捨てると、隠れていた白髪の老人が脇差を抜いて飛び出してきた。

間光興が初槍をつけ、隆重が斬り捨てた。駆けつけた大石らと共に死体を検分すると、額と背中に松之大廊下で浅野長矩が斬りつけた傷があったため、吉良義央と確認。間光興が首をはねた。隆重は二番太刀であった。

赤穂浪士一党は浅野長矩の墓所がある泉岳寺に引き上げ、墓前に吉良義央の首級を供え仇討ちを報告した。初槍をつけた間光興が一番に焼香し、討ち取った隆重が二番に焼香した。

隆重は毛利綱元の上屋敷へ預けられた。元禄16年(1703年)2月4日、江戸幕府の命により毛利家家臣・鵜飼惣右衛門の介錯により切腹。享年32。戒名は、刃性春劔信士。

なお兄・尹隆は、武林隆重の功績により、広島藩浅野本家に召抱えられた。「武林勘助尹隆」と改名し、武林の家名を広島藩に残した。
  
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2015年04月02日(木)
シリーズ・「原発廃止か存続かを決める前に読むべき32の質問」第5回・事故発生経過
仲 俊二郎/小石原 健介 共著 

2 事故発生は時系列的にどんな順序で起こったのですか
 
地震発生の3月11日午後2時46分ごろ、福島第1原発では、運転中の1~3号機の原子炉が自動停止しました。自動停止後は以下のような状況をたどっています。

① 停止してから41分後の午後3時27分に津波が到達した。来襲した津波は、これまで想定していた高さ6.1メートルを遥かに超える、11.5~15.5メートルという高さで、第1原発を一気に飲み込んだ。

② 海抜4メートルの海岸に設置されていたディーゼル非常用発電設備と燃料タンクは真っ先に被害を受けた。燃料タンクは流され、発電設備は冠水し、機能が失われた。

③ 1~4号機原子炉建屋、タービン建屋は全面浸水になってしまった。そのためタービン建屋の地下にあったバッテリー電源設備は一瞬にして電源が失われた。

④ 外部電源は敷地付近の送電鉄塔が倒壊し電源が失われた。このように原発は全電源の喪失によって、燃料を冷却できない事態に至った。

⑤ 午後3時42分1号、2号機で緊急炉心冷却システム(ECCS)が機能不全となった。またもう一つの原子炉を冷やす非常用の原子炉隔離時冷却系も機能不全となった。この時点で、地震発生から5時間44分で炉心の冷却は完全に機能不全に至った。

図表2「事故発生時系列表」は、事故発生から5日間すなわち11日から15日までの経過を分刻みに記録しています。これによると、当時の焦点は、壊れた燃料から生じた水素ガスや水蒸気で格納容器内の圧力が高まり、そのために容器が壊れるのを防ぐため、外部に気体をベント(排気)する作業でした。

電源を失い真っ暗になった建屋内で、作業員らは極めて過酷な作業環境のもとで、放射線防護服に身を包んで懐中電灯を頼りに、手探りの対応を強いられていたのです。被曝限度の恐怖にさらされながら、現場の作業員は決死の思い出で作業に当っていた様子を、当時の緊迫した中に伺い知ることができます。

しかしここで疑問があります。はたして彼らは日頃から全電源喪失を前提とした訓練を十分に受けていたのか。またベント弁の操作に習熟していたのか。こういった疑問です。

今回のケースでは、非常用発電設備の復旧は全く期待できず、したがって最優先すべき初動は外部電源の復旧でした。これは疑問の余地がありません。外部電源の復旧なしに原子炉の安全な冷温停止はあり得ないからです。

最初の報道によると、送電線を補修して電気を引き込む作業には10~15時間ほどかかるとされていました。全電源が喪失した時点の11日16時から外部電源の復旧作業に着手しておれば、少なくとも翌日12日の午前中には電源の復旧が可能であったと推定されます。

ところが実際に外部電源の復旧作業に着手したのは、1号機、3号機の炉心溶融(メルトダウン)、4号機を含めた原子炉建屋の水素爆発、2号機原子炉格納容器の穴あき、これらによる大量の放射線物質の漏えい・拡散という最悪の事態を招いた後で、何と電源喪失から6日後の17日なのです。

事故発生後5日間の詳細な作業を検証しても、外部電源の復旧作業に当った形跡はありません。そして実際に外部電源が届いたことが確認されたのは、20日午後3時46分、実に電源喪失から9日間も要しているのです。

なぜ外部電源の引きこみ作業に間髪を入れず全力を注ぐことが出来なかったのか。この疑問は今回の事故を検証する上での核心の一つと言えるでしょう。プラント運転管理技術者の眼から見れば、まったく理解できないし、納得がいきません。

また、当時の焦点であったベント作業について、結果として原子炉建屋の爆発を防ぐことは出来ませんでした。

1号機炉心溶融、つまり原子炉の底にたまる炉心溶融(メルトダウン)が始まったのは、全電源喪失からわずか数時間後の11日午後8時0分ごろと分析されています。

格納容器内の温度は設計想定の138度Cを大幅に上回る300度Cに達していました。高温のため配管のすき間をふさぐゴムパッキンなどが溶けて、水素ガスなどの放射性物質を含む気体が外側の建屋に漏れ出しました。

その後の調査で排気筒へ向かうベントの配管は原子炉建屋とつながっていて、15日に起こった4号機爆発は14日に爆発を起こした3号機の水素がベントで逆流して流れ込んだ可能性が高いとされています。このあたりにも設計上の問題があったと思われます。

電源の喪失から数時間で炉心溶融がはじまったことを考えると、こうした事態に備え、後述する海外の原発で原子炉建屋の屋根に設置されている、Dowsing Tankと呼ばれる貯水槽が是非とも必要でした。

緊急事態へ備えての技術的対応の不備は、今回の事故の大きな反省点であります。

ベント弁の操作がスムースにいかず手間取ったことも、14日の3号機、原子炉建屋の爆発を防げなかった原因の一つです。このベント弁は付近が被爆限度を超える放射線量であることから、弁にたどりつけずに引き返しました。

通常、緊急時の重要な弁については、電源が喪失しても油圧や空気圧により、確実にしかも比較的放射線量の低い場所に設置されており、遠隔操縦できるバックアップ装備を備えています。そういった基本的な配慮がなされていなかったというのは、致命的でした。

 このように今回の事故により原発がシビアアクシデントに対応できない状態であったことが改めて検証されました。

 次に事故発生3月11日から15日まで5日間の時系列を示した図表は6ページにわたるので掲載しません。なおシリーズ終了後補足として掲載するかもしれません。
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福島、廃炉へ冠水など3工法検討 最難関の溶融燃料取り出し、共同通信
2015/04/02 02:00

 東京電力福島第1原発の廃炉作業における中長期的な方針を示す「戦略プラン」の全容が1日、判明した。

最難関となる溶融燃料(燃料デブリ)の取り出しで重点的に取り組む工法を、原子炉格納容器を水で満たす「冠水」など三つに絞り込み、検討すべき課題を挙げた。政府の原子力損害賠償・廃炉等支援機構が策定を進めており、近く正式に公表する。

 今回、初めて策定する戦略プランは、炉心溶融(メルトダウン)を起こした1~3号機での燃料デブリ取り出しと廃棄物対策の2分野で構成。政府が公表した第1原発の廃炉作業に向けた「中長期ロードマップ」に技術的な根拠を与える土台となる。
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3月25日の特定原子力施設監視・評価検討会 第33回会合・傍聴メモ
メモ作成者に依頼して掲載させてもらいました。

配付資料・参考資料は規制委HPに掲載。資料から離れた議論についてメモします。

議題1:排水路を流れる水に対する考え方について(原子力規制庁:資料1)

1.(規制庁説明)境界線量は

①発災以降に捕足された瓦礫・汚染水を起源とするものは平成28年3月末に1mmSv/yを達成。

②Fall Outを起源とし雨水・粉塵などで発現した汚染については前項とは別に平成27年3月末に2mmSv/y未満,平成28年3月末には1mmSv/yを達成目標とする。

2.更田委員発言:(K排水路汚染のような)Fall Out起源のものは測定と処置をを都度行うこととする。現時点では指標化は出来ない。

(所見:PCV補修のよいうな建屋内作業の段階になれば大量の汚染物質が粉塵・汚染水となる恐れもあり、指標化とは別に対策スタート・トリガーは設定すべきではないだろうか。)

議題2:敷地境界線量の制限達成に向けた取組み(東電)

1.送電説明:K排水路問題(資料2-1),B,C排水路問題(資料2-3),境界線量達成の取組み(資料2-4),構内リスク総点検(資料2-2)

2.有識者・規制委の主な発言

1)K排水路:降雨時にCs濃度が高くFall Out起源と考えられるが、因果分析が不足(ex.溶解物か粒子状か)。2号機屋上のFall Out物の固定だけの対策で十分か。

2)B,C排水路:高β線汚染だが汚染源特定出来ず、RO濃縮水の漏洩を徹底調査すべき。

3)リスク総点検リスト:規制委が作成したリスクマップと関連付けてチェックすべき。

(所見:東電も規制委もリスク・リストに劣化(配管、タンク、ポンプなど稼動機器、設備基礎やフェーシング)を入れていないのは問題。

排水路汚染がFall Out起源とすると今後も発生する可能性は高い
。)

議題3:海水配管トレンチ内汚染水汲み上げとモルタル充填(東電:資料3)

1.汚染水除去進捗:48%、トンネル充填:2,4号機完了、3号機70%充填。立抗充填中。

2.有識者・規制委の主な発言

1)更田委員:充填物の連通確認(ex.T/B連通性)は必要だが打設早期完了が優先。

2)塩分高濃度3号機汚染水のCST狩貯蔵計画は続行か(東電:計画通り実施予定)

(所見:凍結止水からモルタル充填に方針転換して処理は進捗。立抗充填に導通阻止の為3種の充填材を使用しているが、この通水試験は未済で確認が必要。)

議題4:陸側遮水壁(東電説明:資料4,参考資料3)

1.東電説明は全周者水壁完成後の水位管理に重点。

2.有識者・規制委の主な発言

1)更田委員:海側遮水壁(鋼管矢板)が閉鎖出来ず汚染水が港湾に流出していることに東電の認識(message)を示す必要がる。陸側遮水壁は単独では地下水制御として非現実的。

2)更田見解に対し、海側遮水壁(鋼管矢板)閉鎖は汚染水保管量を増やすとの反論あり。

3)「サブドレン」による地下水制御については、東電はFall Out 汚染井の存在があり積極的な姿勢は見られず。

4)「部分先行凍結(12ヶ所,80m)」を試験的にでも実施して既成事実を作りたいのが東電の意図の如くだが、更田委員は「試験なら実施計画で規模を検討すべき」と抑制的。

(所見:東電説明は凍土壁全周完成後の水位管理に重点があったが、規制委は地下水汚染とその除去に評価のポイントを置いていて、今更ながら論点整理未済が表面化している。)

議題5;H4タンク瑛リア内周壁及び外周壁からの雨水漏洩(東電説明:資料5)

1.内周壁からの漏洩は壁に設置した配管シール部の劣化に起因。外周壁からの漏洩はタンク基礎部の劣化が起因。


(全体所見;14~17時に予定が19時までと5時間の会議になった。

排水路の汚染問題が一番時間を取ったが、汚染レベル自体は高いものでないが、Fall Out起源ということで、今後場所も線源も規模・回数も予測が出来ない不安がある。

陸側遮水壁(凍土壁を改称)についても狙いと効果について理解が共通しているとは思えず、今後を注目する必要あり
。)

                                      以上
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<避難解除半年>川内村東部に戻った住民12%、河北新報
2015年04月01日水曜日

エゴマの種を入れたペットボトルを手に、荒れた畑を眺める神藤さん=福島県川内村

 東京電力福島第1原発から20キロ圏内の福島県川内村東部の避難指示が解除されて1日で半年となった。

解除区域に居住実態のある住民は3月1日現在、21世帯34人と全体のわずか12.4%。除染対象外の山林に囲まれた生活への不安が根強く、買い物や通院などで依存していた同じ生活圏の富岡、大熊両町が避難区域のため、帰還に二の足を踏んでいるのが実情だ。

 同村下川内毛戸地区の神藤俊男さん(66)は定年退職を機に田舎暮らしを望み、東京から移住した。

 2010年、村の農家6人と販売団体「高原ファーマーズ」を設立。いわき市のイベントに出店したのを皮切りに、「凍(し)み大根」やニホンミツバチの蜂蜜を作り、県外にも販路を築こうと試みた。原発事故が起きたのは、その直後だった。

 長期宿泊が始まった昨年4月に自宅に戻って住み続けるが、仲間の農家は避難先にとどまる。物置にエゴマの種を入れたペットボトル5本を大事に保管するのは、「エゴマなら、いつか育てられる」という事業再開に懸ける思いからだ。

 事故前は車で30分ほどの大熊町に商業施設があった。今は1時間かけて田村市船引町でまとめ買いする。村は複合商業施設や災害公営住宅の整備、企業誘致などに力を入れるが、村の再生を目指す取り組みは始まったばかりだ。

 自ら好んで移り住んだ村だけに愛着の念は強い。「原発事故で村は全国に知られた。逆手に取れば、復興予算がある今はチャンス」。東京の友人を介して村を訪れるボランティアの受け皿づくりを計画する。

 避難者に支払われる月10万円の賠償は解除後1年で打ち切られる。

1年以内の帰還者には90万円上乗せされるが、猶予はあと半年。

村住民課は「暖かくなれば帰るという人もいる。戻って生活できる環境の整備に努めたい」と話す。4月以降、村に戻る意向を示しているのは15人ほどという。
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メディア業界の上層部は喜んで安倍首相とメシを喰う。こんなことはかってなかった。
大手新聞やテレビキー局の上層部「メシ友」の実態――安倍内閣を支えるメディア

2015 年 3 月 24 日 11:25 AM

「昔ならとっくに内閣が吹っ飛んでいる」と言われるほど不祥事が続くが安倍晋三内閣は倒れない。昨年からすでに3人の大臣が辞任し、閣僚らも「補助金迂回献金」とも言える金を任意の企業・団体から受けている。

本来ならば役職の任命責任を問われて内閣総辞職に至ってもおかしくはない話だ。

だが安倍首相は危機に陥るどころか、2月19日の衆院予算委員会では質問中の玉木雄一郎衆院議員(民主)に対して本筋と関係のないヤジを執拗に飛ばし、身内の大島理森委員長に注意されるありさまだった。

このように“やりたい放題”でも安泰なのはなぜか。要因の一つに挙げられるのが、大手メディア(特に新聞社とテレビ局)の追及の甘さだ。

山本太郎参院議員は昨年12月24日、「安倍首相の『会食』に関する質問主意書」を政府へ提出した。

この文書で山本議員は〈安倍首相は第二次安倍内閣発足以降、全国紙やテレビキー局といった報道各社の社長等の経営幹部や解説委員、論説委員あるいは政治関連担当記者らとの「会食」を頻回に行っている〉とした上で、〈政権のトップとメディア関係者の親密な関係、政治家とメディアの癒着が、報道の中立公正公平、不偏不党の観点から批判の対象となる〉などと指摘した。

2013年1月から15年1月にかけて、安倍首相とメディア上層部らとの会食は実に60回を超える。新聞各社に掲載される日々の「首相動静」を丹念に拾うと浮かび上がる事実だ。

新聞社やテレビ局には「総理番」記者がいる。安倍首相は実質的に日本の“最高権力者”だから、言動は逐一チェックされる。

しかし、その記者の上司らは首相の元へ頻繁に通い、酒食を共にしているのである。各社は「情報収集のため」などと説明するが、首相の意見を知るだけなら番記者の取材で十分だし、高級料亭で飲み食いする必要はない。「本音を聞き出すには酒も必要」といった主張も欧米メディアからはバカにされている。

そもそも上層部と首相が「メシ友」の状態で、容赦なき批判ができるのかどうかも疑わしい。

【「首相動静」が示す事実】

安倍首相との会食がもっとも多いのは(株)読売新聞グループ本社の渡邉恒雄会長・主筆で、確認できただけで15回におよぶ。首相のご意見番気取りだろうか。次は(株)フジテレビジョンの日枝久会長で9回、大半はゴルフだ。

『朝日新聞』『毎日新聞』『産経新聞』は歩調を合わせたかのように各6回で、全国のローカル紙にニュース配信する「共同通信」は4回、「時事通信」は8回となっている。『日本経済新聞』は2回で、『東京新聞』は1回だ。「動静」にはこの他、社名記載のない懇親会も複数回、記録されている。

こうしてみると、やはり回数が多いメディアは政権追及が甘いという関係性が見えてくる。

『読売』は政権に無批判な「自民党広報紙」となっているし、『産経』も、フジサンケイグループとしてかねてより自民党寄りだ。深刻なのは、『読売』には全国で17社もの関連テレビ局・ラジオ局があり、それらも本社と同じ論調となり、政権批判をしないことだ。

『読売』と対峙することが多かった『朝日』も、昨年の日本軍「慰安婦」報道記事取り消しや、福島第一原発事故の「吉田調書」をめぐる記事取り消しなどの後から妙に弱腰だ。批判記事も扱いは小さく、インパクトに欠けることが多い。

「補助金献金問題」に火をつけたのは『毎日』だが、現時点で政権を追いつめる勢いの追及はない。『東京』は質・量共に圧倒的な政権批判調の紙面作りだが、発行部数の関係もあり、孤軍奮闘の感がある。

先述した玉木氏へのヤジ問題では、安倍首相の非論理性や、批判されるとムキになる幼稚さが明らかになった。大手メディアは早急に権力者との「メシ友」をやめ、本来の責務である権力監視の姿勢を鮮明にしなければ、やがて、信頼は完全に失われるだろう。

(本間龍・著述家、3月13日号)  引用元
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「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」、ハフポスト
伊藤大地

「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11
メール

2015年03月12日 14時53分 JST

オーストラリアに生まれ、日本に40年以上暮らした歴史学者が、2011年3月11日、宮城県で被災した。彼はその日を、そしてそこから4年を、どう過ごし、考えたのか――。

2月下旬、澄み切った快晴の日。多賀城市にあるJ・F・モリスさんの自宅を訪ねた。

「私は地元のガイジン。あるいは土着性の強い外国人です」と茶目っ気たっぷりに自らを語るモリスさんは、1974年に留学生として来日。東北大学で博士号を取得し、仙台出身の女性と結婚し、現在は宮城学院女子大学教授として、日本の歴史を研究しながらこの地に拠点を構えている。

「東北大で博士号を取って、宮城学院に就職して、女房は仙台生まれ。ここで子育てをして、子供はインターナショナルスクールには行かせずに、地元の保育所、地元の小学校。普通の日本人として育ててね。

自慢じゃないんですが、ほぼ完璧なモノリンガル(日本語のみ)。共働きで、家に帰ってくると子供が『お腹すいたー』って。バイリンガルとか悠長なことはやってられません。普通の親と同じですよ」。

被災者として、外国人として、歴史家として、どう震災に向き合ってきたのか。東日本大震災について聞いた。

全文を読む

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一部引用・・

――トイレも流せない状況で、数日ぶりに接したメディアに感じたことは?

腹が立ったことがあってね。たとえば、ここのマンションに住んでいるかなりの人たちはどこかに脱出していたんです。ここにいてどうするんだと。水もないし電気もない。身を寄せる親戚が外にいる人は、ほとんど離脱しました。それは悪いことじゃない。外に居場所がある人はいないほうが助かるんです。食べ物も水もないから。

残っている人は行く場所がないからとか、何らかの理由があって残ってるんですね。

外国人がそれをやると国賊、裏切り者みたいに書かれているのを見てね、それが許せなかった。日本人も同じだったよ。当たり前じゃないか。それはなんでわかるかというと、マンションの駐車場がガラ空きだったから。

あと、ガスが復旧するときに、元栓を閉めてないと爆発に繋がる恐れがあったんです。だから、マンションの中を一戸一戸回って、人がいれば断って閉める。いない場合には勝手に閉めて回ったんだけど、かなりの数、いなかったから。

自分の身を守るために移動する。それは何も悪いことじゃない。今でも思い出しますね。
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なぜロシアでは、日本食ブームなのか、東洋経済

モスクワでは「あの外食チェーン」に長蛇の列

中村 繁夫 :アドバンストマテリアルジャパン代表取締役社長

2015年03月30日

モスクワでは今日本食ブームだ。長蛇の列に、レアメタル王・中村社長が驚いたチェーンとは?(写真:ITAR-TASS/アフロ)

今回のコラムは、先日ロシア出張に行った際の「現地レポート三部作」の最終回だ。

過去2回のコラム「ロシアでレクサスが『バカ売れ』するワケ」や「ロシア経済は『破たん』してしまうのか」はおかげさまで好評だった。

これらに加え、突如クリミアを訪問した鳩山由紀夫元首相の行動を批評した「鳩山由紀夫元首相は、宇宙人かバカか天才か」も、元首相という立場はさておき、「ロシアとの多元的なつきあい方の例」としての見方を提示できたと思う。

三部作の最後は、国際ビジネスマンの立場から、日本として現状のロシアの苦境をどう「利用」すべきか、私の考えを披瀝したい。

資源買うなら今!「逆張り」で対ロ貿易を推進せよ


ロシアに対する欧米の制裁については、今さら多くを語るまでもあるまい。欧州とロシアの貿易は停滞し、信頼関係は喪失したに等しい。一方、中国と韓国が欧州の輸出を支え、ロシアと中国と韓国との貿易も増加傾向。つまり、日本が米国に気兼ねしている間に、中国と韓国は欧州にもロシアにも急接近していたというわけだ。

私から言わせれば、今からでも遅くないので、日本は対ロシア貿易に踏み込むべきである。日本の対ロ貿易は思い切った手を打たなかったために、落ち込みぶりが著しい。特に昨年9月から12月の対ロ輸出ではルーブル安の影響から前年同月比で約60%の大幅な輸出減となった。

一方では、インフレを予測して駆け込み需要が増加するのでルーブル安が進んだ12月には、ロシアではモノが売れまくった。スーパーの家電の売上高はどこも50~100%増加。モスクワのユニクロも大幅売り上げ増となった。経済は生き物だから日本的な「君子危きに近寄らず」では、中国と韓国の安物に市場を取られるだけである。

次ページ⇒ロシアから買うもの、ロシアへ売るものは?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話題は変わるが、モスクワでは大変な「日本食」ブームである。

今回のロシア出張では、寿司も天ぷらも何でもそろっているので、現地のロシア人の接待に現地の日本食レストランに連れて行ったのだが、今やロシア人は平気で刺身も食べる。10年以上続いた資源高でロシア人は豊かになり、モスクワ市内なら、寿司屋だけで数百店舗はあるだろう。

なぜ丸亀製麺がブームになっているのか

ただし、だ。日本人の板前がいる店は多くはない。キルギス人やカザフ人などが日本人の格好をして握っているが、見た感じは同じアジア人なのでわからないのだ。ただし、握りを見れば一目瞭然でわかってしまう。シャリはおにぎりのように大きく、ネタの鮮度もイマイチである。欧州から新鮮な鮭が入っていたが制裁で今は冷凍だからいただけない。「ロール物」が中心でボリュームばかり目立つのだ。

そもそも和食といえば、価格水準がロシアレストランの「5割増し」でも通用するので韓国人や中国人のオーナーシェフも寿司ハウスに参入しているようだ。「カロリー過多」のロシア人にとって、和食は健康食品なので、和食ブームは加熱することはあっても、そう簡単に冷めない。

さて、その和食レストランで、今やモスクワのブームになっている店がある。「丸亀製麺」だ(なお、冒頭の写真は丸亀製麺ではないので、あらかじめお断りをしておく)。

実は「日本の讃岐うどんのチェーンですごく流行っている店がある」と言われて見に行ったのだが、実際にロシア人が大挙して列を作っているのを見て驚いた。東証1部のトリドールの外食ブランドの一つだが、海外は90店あり、モスクワだけでいまや5店舗に増えている。

なぜここまで人気なのかと思い、実は味については期待せずに入ってみたのだが、丸亀製麺は日本の味そのもので勝負していた。日本人の私が満足するのだから、ロシア人が列を作るのも当然である。今回行った丸亀製麺は店舗面積約200平方メートル、80席の1号店で、2013年に開店したトレチャコフ美術館の近くにあった。

関係者に聞くと、今後は5年以内にロシアで100店舗を目指すとのことだ。讃岐うどんがこのように大成功しているのだから、日本のラーメン屋などの外食産業やコンビニなどの成功率はかなり高いはずだ。前出のように、本物の日本食はまだまだかの地に少ない。

現地をよく研究すれば、大きな成功は必定だ。外食だけではない。その他の日本のサービス産業や教育産業も、豊かになったロシア市場には受け入れられる余地が大きいと予見する。ここは、ぜひ日本の若い起業家に期待したい。
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~PKOは本当に国際平和に貢献しているのか?IWJブログ
【IWJブログ・特別寄稿】集団的自衛権と自衛隊のPKO参加に踏み出す前に ~PKOは本当に国際平和に貢献しているのか?(米川正子元UNHCR職員・立教大学特任准教授)

 集団的自衛権行使の容認が閣議決定されてしまいました。このあと国会で法改正が進めば、自衛隊がPKO(国連平和維持活動)に参加する際に、任務遂行のための武器使用や他国のPKO要員らが武装勢力に襲われた時でも、駆けつけて武器を使い反撃できるようになってしまうおそれがあります。

 筆者は、自衛隊が1992-3年に初めてPKO(国連カンボジア暫定機構;UNTAC)に参加したカンボジアで、国連ボランティアとして同PKOの選挙監視活動に関わった経験があります。

その後、1994年にソマリアのPKOに参加し、そして2007-8年にコンゴ民主共和国(以下、コンゴ)東部にUNHCR職員として派遣された際に、世界最大級のPKOと共に一緒に活動しました。現在もPKOの研究も少々行っています。

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一皮剥いたらみんなオウム教信者
弁護士ドットコム2015年03月19日 21:40

「僕らと根っこは一緒」オウム真理教ドキュメンタリー映画の監督が語る「信者像」

 オウム真理教が1995年の3月20日に起こした「地下鉄サリン事件」の被害者で映画監督のさかはらあつしさん(48)が3月19日、東京・有楽町の外国特派員協会で記者会見を開いた。

今年3月20日で事件からちょうど「20年」という節目を迎えるのを前に、さかはらさんは現在、オウム真理教から名前を変えた教団「アレフ」の幹部・荒木浩さん(46)に密着したドキュメンタリー映画「一枚の写真」を制作中だ。

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日本はなぜこんなに金保有が少ないのか Jcastニュース
日本はなぜこんなに金保有が少ないのか 

米国の10分の1以下、ロシアや中国以下の不思議
2015/3/23 19:35

「有事の備え」といわれる金。世界の中央銀行では新興国を中心に、金の保有量を増やしている。

一方、日本の保有量はわずか765.2トン(2014年12月末時点)。最近3年の保有量に変化はないが、外貨準備に占める割合は2%と、他の先進国に比べると圧倒的に少ない。世界の中央銀行が金の保有を増やすなか、日本の動きは逆行しているのだろうか――。

金取引業者の国際的な調査機関、ワールド・ゴールド・カウンシル(WGC)がまとめた2014年(通年)の金の需要レポートによると、2014年の金の年間需要は前年比4%減の3923.7トン。このうち、宝飾品需要は2152.9トン(前年比10%減)、投資需要は904.6トン(2%増)、テクノロジー分野は389トン(4.7%減)で、2003年以来11年ぶりの400トン割れへと減少した。

そうした中で、中央銀行の金の購入量は、好調だった13年の409トンを68トン(16.6%)上回る477.2トンとなった。これは世界の金準備が544トン増加した12年に次ぐ、過去50年の最高記録に迫る水準だ。中央銀行による金の買い越しは、2010年以降5年連続。WGCはレポートで、「中央銀行が一斉に金を購入」としている。

2014年に金準備を増やしたのは、前年に引き続きロシアが突出。173トン(16.7%)も増やして、保有量は1208.2トン、外貨準備金全体の12%を占めた。

ロシアにとって2014年は、年初にはじまったウクライナとの対立とそれによる国際的な対ロ制裁で、年末にかけては深刻な経済危機に見舞われた。まさに金が「有事の備え」となったわけだ。

また、カザフスタンとイラクがそれぞれ前年比48トン増。イラクの場合、1年で金の保有量が3倍に増えたことになる。アゼルバイジャンが10トン、トルコも9.4トン増えた。 ロシアに近い、独立国家共同体(CIS)諸国を中心に金準備の補強が続いた一方で、金の売却はウクライナの約19トンにとどまる。

中央銀行の保有量を国別でみると、米国がダントツの保有量で8133.5トン。外貨準備に占める割合は73%にも及ぶ。2位のドイツは米国の半分以下で 3384.2トン(68%)。以下、IMFが 2814.0トン、イタリアの2451.8トン(67%)、フランス 2435.4(66%)と続き、ロシアは13年の8位から6位に順位を上げた。中国は1054.1トン(1%)で7位、日本は9位だった。

経常黒字が続いた時、ドイツは金、日本は米国債を買った

新興国を中心とした世界の中央銀行が金の保有量を増やす傾向にあるのは、米ドル資産の分散化が狙いだ。金・貴金属アナリストの亀井幸一郎氏は、「新興国は外貨準備で米ドル資産を積んできましたが、その兼ね合いで金も保有するようになりました。

つまり、米ドルのリスクヘッジですね」と説明する。金は長期的には米ドルと負の相関をもつので分散効果が高いという。

一般に、金は通貨を保有する代わりとされ、外貨準備に積み立てられる金は為替介入や対外債務返済のための資金になっている。

新興国は稼いだ外貨の運用先を、本来なら基軸通貨の米ドルにして米国債で保有するが、日米欧とも量的緩和で通貨は溢れている状況のため、長期的にはドルやユーロ、日本円も弱くなる傾向にある。それもあって、通貨の代替として金を外貨準備に充てようとしているわけだ。

亀井氏は「戦後多くの経常黒字を抱えたとき、ドイツは金に、日本は米国債を買いました。いわば、その差が出ているわけです。いま日本は、米国債の保有規模が大きくなりすぎて、売りたくても売れないほどです」と話す。

とはいえ、金を外貨準備に充てている国は多く、米国やドイツ、イタリア、フランスのほかにもオランダ(外貨準備に占める割合が55%)やポルトガル(75%)なども高い割合で保有している。

日本の2%は、あまりに少なすぎるのではないか――。

日本銀行は、「外貨準備には各国の歴史的な経緯があります。また、運用については外貨準備管理の一環なので、方針は開示できません」と話している。

引用元

実態はアメリカの金融政策の指示によるというしかない。
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スンニ派とシーア派の両方を支援する米国の苦悩、Financial Times
2015.3.31(火)

(2015年3月30日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

イエメン大統領派の軍部隊、アデンの空港を奪還

米国はイエメンでのサウジアラビア主導の軍事作戦を支持し、イランの利益を抑制している(写真はイエメン南部アデン近郊の空軍基地で戦車に乗る、イスラム教シーア派系の武装組織フーシ派に反対する地元部族などの戦闘員からなる連合部隊のメンバー)〔AFPBB News〕

 米国とイランの核協議が合意に近づきつつあり、数十年に及ぶイランと西側諸国との疎遠な関係に終止符が打たれる可能性が出てきている中、米国のオバマ政権は中東におけるイランの影響力を大慌てで抑制しようとしている。

 この矛盾した行動は、中東全域に広がったカオス(混沌)の産物だ。

 米国はスンニ派とシーア派に分断された中東で、あっけにとられてしまうほど複雑に入り組んだ危機に直面しており、一方の国ではスンニ派を支持しながら他方の国ではシーア派を支援するという状況に置かれているのだ。

 この1週間、米国はイエメンでのサウジアラビア主導の軍事作戦を支持し、イランのティクリートを巡る戦いでは戦闘に自ら介入した。スイスに集まった外交官たちが核協議で詰めの交渉を行っているまさにその時に、イランの利益を抑制する行動に出た格好だ。

 イランに対するこの新たな圧力は大きな戦略の一環なのか、それとも急展開した危機への対応でしかなかったのかは、まだ定かでない。ただ、交渉の背後に隠れた1つの力学を反映した動きではある。

 もし核協議で合意が成立すれば、この核外交がイランによる中東支配の先駆けになることを恐れる中東諸国から、米国はイランに立ち向かえという強い圧力を受けることになるのだ。

イランとの核協議を進める傍らで対抗姿勢

 米国は、深刻化するイエメンの内戦ではイランに対抗する立場を取っているものの、イラクと「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」との戦いではイランとともにイラク政府を支持して戦っている。

 さらにややこしいことに、米国と中東における最も親しい同盟国――イスラエルとエジプト――との関係はかなり緊迫したものになっている。アフガニスタンについてもバラク・オバマ大統領は先週、同国の安定維持に資するためには駐留する兵士の数を向こう18カ月間、これまでの想定より増やす必要があることを認めざるを得なかった。

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チベットの村はどうなっているか、   リベラル21
――小説『雪を待つ』をめぐって
    ――八ヶ岳山麓から(140)――

阿部治平(もと高校教師)
                 )
さきにチベットの寺はどうなっているかを書いた。では寺を支えている農牧民の村はどうなっているか書かなければならない。そう思っているとき、星泉翻訳のチベット人作家ラシャムジャの小説『雪を待つ』(原題は「チベットの子どもたち」、勉誠出版、2015年)を読む機会があった。

「ぼく」と、いたずらっ子で勉強のできない「タルベ」、しっかり者の女の子「セルドン」、転生ラマになった「ニマ・トンドゥブ」の幼馴染4人組の子供時代とその成長、挫折、再生の物語である。主な時期は1980年代と2000年代、主な舞台は中国青海省のチベット人地域。

結論を先にいうと、チベット人の生活に多少とも興味をお持ちのかたがおいでなら、ぜひこの小説を読んでほしい。理由は以下のとおり。

私が青海省の田舎の民族師範学院で日本語教師をしていたとき、結婚式の翌日、もともとの恋人とラサに逃げたお嫁さんがいた。どうせ逃げるなら、なぜ結婚式前に逃げなかったか。彼らが駆落ちしてから2,3年後、「ラサ3・14事件(北京オリンピック直前の2008年3月14日、チベット高原全域に起きた抵抗運動)」が勃発した。

その直後当局は逃亡したデモ参加者を捕まえるため、チベット人地域全住民の「身分証」の更新をした。

中国では身分証がないと一日だって生活できない。ラサでひっそり生活していた駆落ち男女は身分証がないので警察から帰郷を命じられた。

私はこの話を聞いたとき、心から彼らに同情した。故郷の村で人々の冷たい視線を浴びながらこれからどうやって生活するのだろうか。

小説『雪を待つ』にも「ぼく」の姉と小学校教師が駆落ちをする話が出てくる。「雪の降った晩、われらがミンジュル先生はドゥクキ姉さんを連れて逃げた」のである。そして、二人は「ぼく」の父と村の長老の孫ドクシャムに捕まる。父と長老との間では、ドクシャムと姉、「ぼく」とドクシャムの妹のセルドンは許婚ということになっていたのだ。

姉は何がなんでもドクシャムと結婚しなければならない。ミンジュル先生は大学院へ進学するとの理由で小学校教師をやめてこの地を去る。
民族師範学院の学生は「私の村なんか、泣いて嫌がる娘を馬に縛り付けて嫁にやるなんてことがあったんですよ」と話した。この話を聞いたときは、すでに本人たちの同意のない、親の決めた結婚はかなり少なくなったということだったが。

学生の故郷には転生ラマ(元来は師僧のこと)がさる少女に恋心をもって還俗し、結婚した例があった。信仰の対象としたラマがこうなると、村人は悲しみ、あきれ、怒り、やがては軽蔑するようになる。私が学生の村に行ったとき、もと転生ラマはひどく肩身が狭い思いをして村で暮らしていた。

『雪を待つ』にも「ぼく」の幼馴染「ニマ・トンドゥブ」の話がある。
「新年になったある日、ぼくたちは(幼くして出家した)ニマ・トンドゥブが、(村の僧院の)マルナン・ラマの生まれ変わりに認定されたという話を聞いた」そこで正月5日、ニマの即位式に列席するため、村人たちは着飾ってマルナン僧院に出かけた。

ところがこの転生ラマは数年後、修行中に突如寺院から姿を消した。チベット人地域の雰囲気からすれば実に勇敢である。ニマは寺から逃げてほうぼうの村を読経して歩いて布施を稼ぎ、やがてラサに行きバター売りの小商売をやり、さらに骨董売買に転じて一人前の事業家になる。

「ぼく」の家の瑪瑙が彼の手下に50元で買われ、最終的には50万元で漢人に売られるということも起きる。

セルドンは大学入試に失敗し行方不明になる。ところがニマ・トンドゥブはラサの宿で売春?をするセルドンと会う。やがてセルドンは稼いだカネを元手に酒場を出し女将におさまる。彼らはラサで幼時を思い、故郷にあこがれ、哀感の漂う複雑な友情をもつようになる。

かれこれ25年余り前、私は中国甘粛省南部のラブラン大僧院を訪れた。この旅行ではじめて草原の争いを聞いた。

――昨日は尾根をはさんで向こう側の集落と鉄砲の打ちあいになった。敵は自動小銃を持ち、塹壕を掘って本格的な構えだ。こちらは1人死んだが相手側も1人重傷だ。今日はラブラン大僧院のラマが山へ行って仲裁をするから銃撃戦は終わるだろう――。

ラブラン大僧院の大伽藍にも圧倒されたが、発砲事件にはもっと驚いた。その原因が向う側の牛羊が放牧地の境を越えてこちら側へ来たからというのにはあきれた。羊が草を食ったくらいで殺しあいなんて。

ところが、この手の話はチベット人地域のいたるところにあった。学生やその故郷の人々は私に放牧地をめぐる争いを話し、自分の村の要求が正当であることを訴えた。なかには「おい日本人、なんで警察が手を出さないかわかるか」政府はチベット人には勝手に殺しあいをやらせておけ、民族運動なんかやるよりははるかにましだという料簡だからだ、という人もいた。

『雪を待つ』にも半農半牧の「ぼく」の村と純牧畜村の放牧地をめぐる争いがでてくる。「ぼく」の村の村長は幼馴染の鼻たれ小僧「タルベ」である。やがて争いはおさだまりの銃撃戦になる。こちら側は村民が一人、相手側は村長が死に、重傷20数名を出してひとまず終わる。

チベット人地域の慣習法では、こういうとき高位のラマなどが仲裁に入り、戦闘が収まれば互いに「命価」「血価」という民事賠償をはらって決着する。

ところが当節は異なる。村長タルベは抗争事件の主犯として警察に逮捕されてしまう。当局はチベット人地域でもできるだけ現代刑法を適用しようとしているからだ。このままではタルベは死刑か終身刑になる。

このとき「ぼく」は大学院で学位を取り研究室にいた。「ぼく」の妻は「ぼく」の出世を求めてやまない人物で、農牧民の放牧地争いなど関心がない。だが、「ぼく」は幼馴染の苦境を見ていられない。

「ぼく」は妻に別れを告げる。事件を知った逃亡ラマのニマ・トンドゥブも「ぼく」の許婚者だったセルドンも、ともにあえて故郷に帰り幼馴染を救おうとする。

私は文学音痴の人間である。この小説の文学的価値を論じることはできない。だがこの小説は、衰えかけた私の頭をがーんと一発ぶん殴った。

小説の中に、かつて一緒に暮らした学生やその親たちの生活があった。幼い子供の子供なりの葛藤、疾風怒濤の成長期、市場経済の展開とともに起きた村の変化など、私が見た農牧民と、田舎から都会に出た青年の生活そのものがここにあった。

ところが、チベット人の重大な問題が取上げられていない。それは強烈なダライ・ラマ崇拝と「ラサ3・14」、さらに現在も続く焼身自殺などである。

もちろん地方特有のできごとは書きようによっては書けるかもしれない。たとえば青海省政府の学校教育からチベット語を排除してすべて中国語にするとか、強引な小学校統廃合などの教育政策。

これによって、いま「ぼく」の通った小学校も廃校になり、村の子供は1年生から中国語で教育を受け、寄宿舎生活をしているはずである。

治安対策も容赦なく進展した。この10年の間に寺院はいうまでもなく、村の主な通りにも監視カメラが置かれるようになった。旧暦の正月や「3・14」事件記念日近くには完全武装の警察・武装警察・解放軍が県庁所在地に配備される。

作者は注意深くこれを書くのを避けた。もし書いたら、作者ラシャムジャは「国家分裂罪の容疑」でたちまち逮捕・投獄されるだろう。だから書かないでよかったと私は思う。いまは危ないことは書かないでほしい。

星泉翻訳の題名は『雪を待つ』となっているが、チベット人は雪解けを待ってほしい。それは必ず来る。私は彼ら有能なチベット青年に小林多喜二の悲劇を繰返してほしくはない。

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2015年04月01日(水)

シリーズ・「原発廃止か存続かを決める前に読むべき32の質問」第4回・委員会報告書
仲 俊二郎/小石原 健介 共著 

 1 福島第1原発事故で4つの事故調査委員会の報告が出ていますが、それぞれ事故原因をどう述べていますか

2012年7月23日、政府事故調査・検証委員会の報告を最後に、先の民間事故調査委員会、東京電力事故調査委員会、国会事故調査委員会を含めて4つの異なる報告書が出揃いました。なぜ原発事故が起きたかその原因と責任の所在については、それぞれの委員会で次のような異なる見解が報告されています。

● 民間事故調査委員会 

民間の立場から事故原因を調べ、その要点を以下のように指摘しています。

・日本が地震国であるにも拘わらず、原子力安全規制はそのことを忘れ、地震や津波などの外部事象に対する備えが不十分であった。

・官邸の初動対応が場当たり的で、泥縄的危機管理であった。官邸主導による目立った現場への過剰介入があり、そのほとんどは評価できなかった。

このように原子力安全委員会や東電、政府の能力欠如が背景にあったと論じています。また、「安全神話」や「原子力ムラ」といった社会的背景にも意欲的に切り込みました。

原子力工学や政治学、公共政策などを専門とする研究者や弁護士、ジャーナリストがメンバーとなり、ヒアリングには当時の管首相はじめ官邸中枢で事故対応に関わったほとんどの政治家や官僚、原子力関係の責任者が調査に応じましたが、なぜか東電は最後まで拒否しました。

● 東京電力事故調査委員会 

 社内および外部有識者によって調査しましたが、その要点は、想定を超えた津波が押し寄せ、電源が喪失して、こういう結果になったというのです。

原子力関係者全員が、安全確保のベースとなる想定事象を大幅に上回る事象、つまり大津波を想定できず、その点、甘さがあったと言わざるを得ないと述べています。津波に対する備えが不十分であったことが根本的な原因であると認めているのですが、その甘さは自分たちの責任ではないというふうなニュアンスがうかがわれます。

● 国会事故調査委員会 

 この報告から実に情けない実態が浮き彫りになりました。どういうことかというと、規制する側(政府)が規制される電気事業者(東電)の虜(とりこ)になってしまったという、逆転関係があったのです。

規制の虜とは、規制機関(保安院)が規制される側(被規制者、東電)の勢力に実質的に支配されてしまうことをいいます。そうなると、規制機関が下す許認可が、逆に被規制側の都合のいい形で発せられ、被規制者の方針や行動にお墨付きを与えることになってしまうのです。

情けないことに、歴代の規制当局による東電への監視機能がすっかり崩れ去っていました。だから東電の都合のいいように原発が運営され、事前に事故対策を立てるチャンスを失ったのだと、結論づけています。

原発が地震にも津波にも耐えられない状態をシビアアクシデント(過酷事故)といいますが、もしこの虜さえなく適正に機能していたなら、今回の過酷事故は防げました。

この報告書で注目すべき点は、「電力会社の虜」として、規制当局である保安院の問題を指弾していることです。

保安院は経済産業省の外局である資源エネルギー庁の特別機関です。規制当局として見た場合、人材的にも組織的にも、アメリカ原子力規制委員会などの原子力先進国に比べ、余りにも弱体だと言わざるを得ません。

この「弱体」は非常に重大な問題なのです。原発を国家としての視点でなく、経済産業省という単なる一省庁の所管として扱っているから、組織としても予算としてもマイナーな扱われ方になってしまいます。ここに今回の原発事故の本質的な問題の一つがあるのです。

なお保安院は2012年秋に廃止され、環境省の外局である原子力規制委員会に移行しました。しかし看板を変えても本質的な問題は何ら解決されていません。

これを見る限り、政府も官僚も全く事故の反省をしていないことになります。保安院の検査官は電力会社が作成した書類の山の中で仕事をしており、現場へ出ることを怠っているのが実情です。

これはアメリカ原子力規制委員会(NCR)とは大きく異なります。NCRの検査官は書類に埋もれるのではなく、現場主義に徹しているからです。プラントというものは、原発であれ一般機械であれ、現場監視に学ばねばなりません。現場がすべてなのです。「電力会社の虜」となった日本の検査官の徹底的な意識改革が求められています。 

● 政府事故調査委員会

報告では、東電の大津波に対する緊迫感と想像力の欠如を指摘しています。

・政府の複合災害を想定した危機管理の不備。

・想定を超える津波襲来の可能性があるという知見がありながら、東電は対策をとらなかった。

・東電も国も複合災害を考えていなかった。

・東電の事故原因の究明は不徹底で、再発防止に役立てる姿勢が不十分。

4つの報告書から見えてくるもの

 報告書は、事故の背景として、東電を含むすべての電力会社も国も、炉心溶融のような過酷事故は起こり得ないという「安全神話」にとらわれていたこと、そのために安全を優先して考える姿勢の安全文化が欠けていた、と指摘しています。事故防止策の危機管理体制が不十分であったということです。

国会事故調査委員会は事故原因を人災であると明言していますが、他の3つはいずれも地震や津波による自然災害の影響を大きな原因として取り上げています。

しかし国民はこれらの報告書を待つまでもなく、今回の事故は、「原発は安全だ」と宣伝し原発を推進してきた学者、官僚、電力事業者やマスコミが、安全についての認識が不足し、シビアアクシデントに対する備えに怠慢だったことによるものであると考えています。

東電の社会的責任

東電が当事者意識を欠いていることは言を待ちません。特に事故の根本的な原因を津波の影響に帰し、自らの責任を不可抗力のようなものに転嫁している姿勢には、一国民として強い憤りを感じます。

しかしこの日本は不思議な国です。東電の経営責任は追及されることはなく、テレビ会議の資料が司法当局に押収されることはありませんでした。

事故発生の根源的な原因にも触れず、ひたすら自己保身と責任回避につとめる東電の姿勢は、まさに今日の無責任時代を象徴していると言っても過言ではないでしょう。

一部の調査委員会を除き、報告書はいずれもこれまで原発を推進してきた学者や官僚、電力事業者を弁護する立場の色彩が色濃く出ています。これでは事故調査委員会としての存在意義がなく、今回の事故から教訓を学びとることは困難です。

東電の事故報告は事故の責任を認めていません。ではなぜそんな態度をとるのでしょうか。それは認めてしまうと、国からの支援が受けにくくなったり、訴訟で不利になったりする恐れがあるためです。

こうした姿勢は自分たちの自己保身を最優先するもので、自らの責任を回避したいだけです。これでは未曽有の原発事故を起こした当事者としての社会的責任をどうとるのか、まったく不明です。

また事故の当事者しか知り得ない情報についても、都合の悪いものは明らかにせず、恣意的に使っています。真相の究明には欠かせない事故時の発電所と本店のテレビ会議のやりとりについても、社内資料で映っている人のプライバシーが侵害されると一方的な理由をつけて、肝心な部分は公表しませんでした。

東電のこうした姿勢は、真摯に事故原因とその責任に迫ろうとしないばかりか、自己保身と責任転嫁に走り、事故を起こした当事者としての社会的責任からは程遠いものと言うほかありません。

事故調査委員会の人選

事故調査委員会の委員の人選についても、おかしなことばかりです。表1「事故調査委員会名簿」に示すとおり、司法関係者を中心にいずれも錚々たる学識経験者や著名人を集めています。

ところが人選された委員は皆有名ではあっても、原発事故とは畑違いの人たちです。こんなことで本当の実態が解明かつ分析できるのでしょうか。

東電自らが技術的決断力を持たない現実を考えると、委員の人選には、炉心の溶融事故に詳しい技術者や、原発や他の産業プラントの運転管理に通暁した技術者、あるいは原発設備の詳細を知るメーカーの技術者等が加わるべきでした。

現場をまったく知らない有名人たちばかりで、どうして正しい分析ができるのでしょうか。人選に大いに問題ありと言わざるを得ません。

ひるがえって飛行機や鉄道事故の場合、航空・鉄道事故調査委員会というのがあり、ここが事故原因を徹底的に調査・解明します。委員はそれぞれが技術の専門家です。仮に元検事や裁判官、弁護士、外交官らに頼んだとしても、飛行機墜落の原因を調べる技術的知見があるとは思えません。

その意味でこの調査委員会はまっとうであり、一方、福島原発の事故調査委員会が如何に偏向的であるか、ということがお分かりでしょう。

だから残念ながら福島の場合、報告書の内容については、いずれも想定外の津波に帰するという的外れな分析がほとんどです。

原発の「命綱」である電源喪失、なかんずく、外部電源喪失の復旧作業の分析はまったくなされていません。最も重要な原因分析が見過ごされているのです。

それに加え、もう一つ重要な分析が欠落しています。それは福島第1原発から11年遅れの1982年に稼働を開始した福島第2原発は、第1原発から南へ約12km離れた福島県双葉郡楢葉町と富岡町にまたがっています。

ここでは四基の原子炉はすべて運転中でした。地震と津波に見舞われましたが、原子炉・タービン建屋はほぼ無傷で1号機、2号機原子炉が冷温停止状態になりました。この福島第2原発との「違い」が何であったのかを分析しなければ、事故の真相を検証することは出来ません。

このように、いずれの報告書も事故の核心をついていないものに終わりました。そうなった理由の一つに、事故発生の当事者である東電が、事故当時の必要な情報を持っていながら全ての情報を開示しなかった卑怯さにもあるでしょう。

図表1「原発事故調査委員会名簿」
(出典 事故調査委員会報告)

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阪神淡路大震災を経験した私が、福島・いわきで訪問歯科を営む理由、ハフポスト
萩野礼子

歯科医師、歯学博士、日本顎顔面補綴学会認定医

2015年03月30日 12時22分 JST

「来年の夏は必ず福島で桃を食べよう」

2014年夏、初めて福島の桃を食べた瞬間、そのあまりのおいしさに感動し、そう胸に誓ったのです。

神戸市出身の私は高校生の時に阪神淡路大震災を経験しました。幸いなことに自宅はそれほど被害がなかったのですが、高校までの交通手段が完全に崩壊してしまっていましたので、しばらく自宅待機が続きました。なので、なにか少しでも自分にできることをと思い、母について避難所にお水や食べ物を運ぶお手伝いをしました。

しかしながら冷めて固くなってしまった揚げ物が多いお弁当を、高齢の方たちはうまく食べることができず(今思うと、地震発生が早朝であったため義歯を外したまま避難した方が多かったのかもしれません)、どんどん元気がなくなっていってしまいました。

ある日、朝自宅を出発して、三宮に向かって歩いていました。もちろん電車は動いておらず、13kmの道のりです。その途上で、震災前よく行っていたレストランが営業を再開していることに気付いたのです。

メニューはポトフだけでしたが、寒い中ずっと歩いてきた私には極上の神戸ビーフステーキにも勝る食事でした。それで避難所の方たちにも温かい食べ物を食べてもらいたいと、炊き出しのお手伝いを始めました。

そして、温かい食べ物を食べて笑顔になる避難所の方たちを見て......普通なら料理人を目指しそうなものですが、歯科医師を目指すことにしたのです。

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東電管理職たちの現場、G2
木野活明 (ジャーナリスト)
G2 » Vol.18 2015.FEB » 東電管理職たちの現場 » 第4回 »

被災者の怨嗟の声

損害賠償で納得していない被災者からの依頼も多く、怒りとも愚痴ともいえない不満を作業中にぶつけられる。賠償以外の担当者に言っても何の解決にもならないことは分かっていても、それでも東電への恨みつらみの言葉が続くことがある。

「賠償がまったく進んでいない」

「会社(東電)はこの先オレたちに何をしてくれるんだ」

「放射能を撒き散らし、家族をバラバラにさせて家まで帰れなくさせているのに何だ」

「同じ東電なんだからそのくらい分かるだろう」

東電のネーム入りの作業服を見たら、抑えていた気持ちを爆発させたくなるのを今泉は痛いほど理解している。

被災者のほとんどは原発事故まで2世帯、3世帯の家族で生活し、将来もそうした生活を続けることを疑わなかった。ところが原発事故はこうした家族の将来の夢を壊し家族をバラバラにしたのである。

今泉は避難者が暮らす仮設住宅にも足繁く通って声を掛ける。

南相馬市の仮設住宅には現在5000人の居住者がいる。かつて1Fから15㎞の圏内に住み、いまも仮設住宅で避難生活を続ける岡田幸子さん(仮名・62歳)が、抑えていた気持ちをこんな言葉で打ち明けた。

「東電の推進室はよくやってくれていると思う。だけども昨日名古屋に避難している娘から『子供が小さいからもう小高には帰らない』と電話がありました。悲しいですね。事故までは子供と孫と一緒に暮らし、これからも3世帯で一緒にと思っていたのに、とうとう家族はバラバラになってしまいました。

うちと同じような家族はこの仮設でどんどん増えています。片付けが終わり、現在の避難指示解除準備区域の規制が外れ、元の生活に戻れると言われても、主人と二人では小高に戻っても暮らせません。

病院はないし、子供たちの学校は廃校になり、買い物が出来る店もない。しかも、電気の点かない無人の家が増えているところで年寄り二人でどうやって暮らせというんですか」

今泉はこうした被災者たちの鬱憤や不満の声を黙って聞き、受け止めていく義務があると思っている。

今泉たちが被災者の帰還につながると信じて取り組む活動の日々は、自分たちが福島復興のために模索を続ける毎日でもあるからだ。こうした今泉の決断と思いを家族はどう見ているのだろうか、今泉に尋ねると笑いながらこう答えた。

「3・11の事故から5日後、詰めていた本店の非常災害対策本部から自宅に戻り、そこから車で2Fに向かいました。その時、玄関口に家族4人が一列に並び『お父さん、行ってらっしゃい』と一言いい、頭を下げたまま送り出してくれました。

その時、2Fに向かうわたしの気持ちを妻も子供たちも分かってくれていると思いました。いまもずっとこの時の家族の気持ちが福島でのわたしを支えてくれています」

つづく

引用元
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米国も実は不要と思っている普天間基地,JBpress
なぜ中南米諸国は米軍のプレゼンスを拒否し続けられるのか
2015.3.31(火) 堀田 佳男
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〔普天間基地に隣接する小学校の上空を飛ぶ米軍の空中給油機AFPBB News〕


 先日、都内で退役米軍将校と会食をした。在日米軍に長く勤務した元将校は、「米軍の見解ではない」と前置きしたうえで言った。

「正直に申し上げれば、普天間飛行場は必要ないです。辺野古への移設という問題ではなく、極東アジアの戦略上、沖縄に米海兵隊はいらないのです」

 決して新しい論点ではない。しかし退役したとはいえ、米軍の元将校が海兵隊不要論を述べた点が興味深い。

 普天間は言うまでもなく米海兵隊が使用する飛行場である。住宅地に位置しているため危険であり、辺野古に移設せず、そのまま撤廃すべきとの意見だ。元将校は韓国に駐留する米海兵隊で、極東地域の有事には十分に対処できると指摘した。

 在日の米海兵隊無用論は、何も氏だけの独自な見解ではない。首都ワシントンにある保守系シンクタンク「ケイトー研究所」のダグ・バンドー上級研究員も、在日海兵隊は必要ないと、米経済誌「フォーブス」で述べている。

日本有事の際に必要なのは海兵隊ではない

 「まず朝鮮半島有事では、韓国に十分な米兵力が展開しているので沖縄の海兵隊の支援は不要です。そもそも海兵隊というのは沿岸から地上へ侵入する部隊です。日本の安全保障上、必要になるのは米空軍と米海軍なのです」

 しかも極東地域の災害や人道支援のために米海兵隊を投入することは、米財政にとって負担になるだけだという。

 それでもバンドー氏は日米同盟を否定しているわけではない。同盟関係の絆は将来も変わらず維持すべきという立場だ。日米合同演習や共同訓練の必要性も説いている。しかし、普天間基地に駐留する海兵隊に関しては、「これ以上この地域に米国の恒久的要塞(米軍)を置いておく必要はない」と断言する。

 この声は日米両政府の公式見解とは違うが、基地反対を叫ぶ沖縄県民にとっては追い風であろう。

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「マタハラ白書」, 女性上司からも暴言「堕ろすのは簡単 十数えれば終る」ハフポス
「マタハラ白書」で被害実態明らかに 女性上司からも暴言「堕ろすのは簡単。十数えれば終わる」
2015年03月31日 08時00分 JST MATAHARA

働く女性が出産や妊娠をきっかけに、職場で嫌がらせをされたり、解雇や降格などの不当な扱いを受けたりする「マタニティ・ハラスメント」(マタハラ)。

その被害女性が中心となって活動しているマタニティハラスメント対策ネットワーク(マタハラNet)は3月30日、厚労省で会見、マタハラの実態を調査した「マタハラ白書」を発表した。

それによると、マタハラが長時間労働によって引き起こされていることや、マタハラ加害者は男性ばかりではなく女性の上司や同僚も多いことがわかった。

マタハラNetの代表で、3月にアメリカ国務省が選ぶ「世界の勇気ある女性賞」を受賞した小酒部(おさかべ)さやかさんは、「この調査結果を企業は受け止めてほしい」と話した。

■「小さな企業だからマタハラが起こる」というイメージは誤り

「マタハラ白書」の調査は被害者の実態を可視化するために行われた。調査期間は1月16日〜26日、マタハラNetのサイト上で調査し、被害者186人から回答があった。雇用形態別では正社員が7割、非正規社員が3割だった。マタハラを受けた年齢は20歳から45歳までで、29歳から39歳までの人が多い傾向にあった。

社員規模別に見ると、「10人〜100人」規模で約32%、「100人〜500人」規模で約19%、「1000人以上」約13%で、大企業であってもマタハラは行われていた。中には東証一部上場企業も約19%あったという。「マタハラが行われる企業は規模を問わないというイメージがあるが、上場企業も19%入っています。企業の皆様にはこの数字を受け取ってほしい」と小酒部さんは話した。

また、職場環境については、「残業が当たり前で8時間以上の勤務が多い」が約38%、「深夜に及ぶ残業が多い働き方」が約6%と、合わせて44%となっており、長時間労働がマタハラの温床となっていることがうかがえた。

有休取得率も良いとはいえず、「毎年1日〜2日しか取得できなかった」が約22%、「1度も取得したことがない」が約20%で、合計約42%の人が、産休や育休以前に有休が取りづらい環境に置かれていた。

ケガや病気の休みは「不可抗力」で、妊娠の休みは「自己責任」という意識

マタハラの加害者は「男性上司」というイメージが強いが、必ずしもそれだけとは言い切れない結果も得られた。最も多いのは「直属男性上司」で30.1%、次いで「人事部」と「男性の経営層」がそれぞれ13.4%だった。

「人事部」がマタハラをするケースについて、「そもそも法律の知識がない会社も多いです。産休、育休中のお給料を会社が出すと誤った考え方をしていたり。悪質なのは、違法だとわかっていた上でマタハラをする企業もあります」と小酒部さん。

「相談を受けたある大学4年生の女性は、内定式で経営者から『妊娠しないでください』と言われたそうです。女性は内定を蹴って、その企業への就職を辞めました」

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菅官房長官、「報ステ」古賀茂明氏の官邸批判に苦言、ハフポスト
The Huffington Post | 執筆者: 中野渉
メール
2015年03月30日 18時28分 JST KOGA AND SUGA

菅義偉官房長官は3月30日午前の記者会見で、元経済産業省官僚の古賀茂明氏が27日のテレビ朝日「報道ステーション」で「菅氏をはじめ官邸にバッシングを受けてきた」などと発言したことについて、「公共の電波を使った行動として、極めて不適切だ」と不快感を示した。

菅長官の発言は次の通り。

私も、番組を見ておりませんでした。しかしですね、その後で指摘をされてですね、YouTube等で見ましたけども、全く事実無根であって、言論の自由、表現の自由は、これは極めて大事だという風に思っていますけれども、事実に全く反するコメントをですね、まさに公共の電波を使った行動として、極めて不適切だという風に思っています。
さらに今後の対応に関して、次の通り述べた。

放送法という法律がありますので、まず、テレビ局がどのような対応をされるかということを、しばらく見守っていきたい、こういう風に思います。

 放送法は、放送事業者に対し、事実を曲げないことなどを求めている。

古賀氏は27日の「報道ステーション」で、自身の降板をめぐってキャスターの古舘伊知郎氏と口論になり、番組中に「I am not ABE」と書かれた手製の紙を掲げた。

ガリバーと蟻の闘い。圧倒的な力を持つ政府の最高幹部が一人の民間人を社会的になきものにしようとしている。

 しかも元官僚と言う本来身内のはずの人間が、政府与党に小さな斧をふりかざすことに、余計に憎しみが募る。
2015年4月1日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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知っていますか?中国ではFacebookやgoogleにアクセスできない
中国でFacebookやgoogleにアクセスできない状況から考える、国家主導で見えにくいネット規制という洗脳。

所用で、中国に数日だけいます(放射能とは関係ありません)。

数日しかないので、大きな影響はありませんが、やはりFacebookやツイッターにアクセスは出来ません。

google検索やgmailもできません

幸いにも、Yahooメールとgooブログ更新は可能ですから、ブログを通じての最低限の更新はできています。

これもfacebookやツイッターにシンクロして情報拡散できているのか、こちらからはわかりませんし、できていない可能性が強いと思います。

こういうネット規制というのは、最初はつながらないと気がついていくのですが、そのうちつながらないことが当たり前の意識感覚になる人が多いです。

おそらく中国の大半のネットユーザーはそうだと思います。

こういう規制というのはアクセスできないだけですから、そのことを強く意識しづらい構造にあると思います。

実はこの中国の大都市で、地下鉄に乗っていると、日本と同じくらいスマホ奴隷に遭遇します。

ネットが圧倒的に日常化している。

しかし、それを為政者が規制をかけることで、読める情報やツールを限定化して、誘導している状態だと思います。

さて、この話が中国固有の問題なのかということです。

私のような旅行者に気がつきやすいネット規制をして中国は誘導していますが、これは自国民の大半にはあまり意識されにくいやり口です。

駄目なら別の不十分な代用品がありますから。

他国で、なかなかここまであからさまにはやらないでしょうが、それこそネットに出ている情報の認知を下げる努力や、ネット的な価値を下げる努力はひたすら続いていると思います。僕も貴女もこの数年間に嫌と言うほど、経験した筈です。

こうしたことも含めた見えにくいネット規制は、今もさまざまな形で進行しています。

そして、ネットが情報伝達の重要ツールになればなるほど、更にこのネット規制は陰に陽に加速化します。

水面下であっても、実はその効果は強まると、誘導、さらに実質的洗脳へとすすんでいくものと僕は思います。

国家主導で、しかし見えにくい形のネット規制という洗脳が行われていると思います。

これは中国だけの状況ではないのです。

引用元
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ニューズ・オプエドが「民放キー局への自民党圧力報道」で自由報道協会賞を受賞、オプ
2015年03月30日(月)【ノーボーダー編集部】

今年の自由報道協会賞が28日発表され、昨年の衆院選直前に自民党が在京民放キー局に対して圧力をかける文書を送付していたことをスクープしたニューズ・オプエドの報道が選ばれた。

これはオプエドが大手メディアに先駆けていち早く報じ、翌日以降に大手通信社や新聞社が後追い報道をしたものだ。

自由報道協会は、自民党の要請文が「民主主義国としてはおよそ考えられないもの」だったとして、このスクープ報道は「日本の報道の自由の悪化」が著しく低下していることの具体例を示したもので、「この1年間の日本のマスコミと権力との関係、メディア状況を記録する上で貴重なものであると評価した」と受賞の理由を説明している。

2015/03/27 【速報】「報道ステーション」終了直後の古賀茂明氏に岩上安身が緊急直撃インタビュー!降板の内幕を衝撃暴露
引用元

菅官房長官が「放送法違反だ」と裏で圧力をかけている!?

岩上安身「報道ステーション、最初にアドリブで降板に至った経緯を話したところで止められましたね」

古賀茂明氏「官邸に抗議することが今回の目的でした。古舘さんは私に『何もできずすみません』と言っていたのであれくらいいいかと思いましたが、古舘さんには立場がある。

 古舘さんとはとても仲良くしていただいていたので、止められて、非常に驚きました。だから『言っていることと違うじゃないか』と言わせていただいた。『I AM NOT ABE』のプラカードを出し、『なぜあそこまでするか』と思う人も多かったでしょう。

 何もなくプラカードを出せばただの馬鹿ですが、官邸が個人攻撃をしてきているんです。菅官房長官が、名前を出さず、私を批判してきています。『とんでもない放送法違反だ』と裏で言っていると聞いています。それは大変なこと。免許取消もあるという脅しですから。

 脅されて、常に不安を持ちながらも『黙ってはいけない』ということで、無理矢理、自分を追い詰めていました。ガンジーが言っていたように『1人騒いでも社会は変わらない。大人になろうと思って何も言わなくなったら、自分が変えられたことになってしまう』。

 僕はいつもそう強く思っているので、攻撃されて黙るのではなく、言われたら言いたいことをどんどん言うつもりでやっています。テレ朝には申し訳なかったですが、私がいきなり言ったので、誰の責任にもなりません」

番組終了後、吊るし上げに反論「日本の報道がどうなっているかの議論のきっかけになれば」

古賀氏「最初『I AM NOT ABE』のときは事前にやるとスタッフに言っちゃったんです。あとで(上から)言われてしまったようなので、今回は内緒でいきました。僕としては最大限気を使ったつもりですが、突然ですから裏切りだと思う人もいると思います。

 今日は番組後に、報道局長をはじめガンガンガンガン言われました。あんなニュースと関係ないこと言うのはおかしい、事前に言ってくれないのもおかしい、と。でも僕は、話す内容を打ち合わせること自体が変だと思っています。

 彼らは『そんなこと突然言われても世の中の人は何もわからない』といいます。わからなくてもいい。日本の報道がどうなっているかの議論のきっかけになればいいし、『番組を私物化している』などとも言われましたが、僕は自分の利益でやっているわけではないんです。利益を考えたらこんなことはやりませんよ。

「皆が転向していっている」今の日本はかつてない危機的状況

古賀氏「官邸や政府はマスコミをどう押さえるかに力を入れています。僕達数少ない人間が戦う場を与えられれば活用します。しなければ、日本がとんでもないことになる。『変な人だ』という人もいると思う。でも、普通の人はまだ危機的状況がわかっていないと思う。

 政権が圧力かけるのは日常茶飯事です。私ももともと経産官僚なので。今行われているのは、『計画的にどう報道を抑えていくか』ということです。みんながどんどん転向していっている。官邸の偉い人とご飯を食べて、審議会にどうこう言われれば、みんな(報道姿勢が)変わるそうです。自民党の偉い人は、『民主党のブレーンも俺たちの味方だからね』と言っていました。

 ただ、たった一人だけ転向しなかった方がいるそうです」

今後の動きは?「簡単には死にません。再生します」

岩上「今後、古賀さんはどうしていくのでしょう」

古賀「これで東京でのキー局出演は当分ありえません。でも、これで自由にもなったので、いろいろやっていきたい。今後は『フォーラム4』をやっていきたいと思います。サイトがあるので検索してください。

 最近、テレビを降ろされた人が沢山います。死屍累々と。でも落胆はしていません。みんな元気です。そう簡単には死にません。再生します」

岩上「今日はわざわざ青山墓地前からお送りしました(笑)」(了)
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鎌田実さんの大往生へのシナリオ

神戸新聞から引用。紙面クリックで拡大。

もう半世紀近く前になるが、阿智胡地亭の伯父が現在鎌田さんが名誉院長をしている諏訪中央病院の事務長をしていたので、鎌田医師にはなんとなく親しみがありフォローしています。
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「モンサントの除草剤は飲んでも安全」。じゃ、飲んでみて? と言ったら、ハフポスト
The Huffington Post | 執筆者: Nick Visser
メール
2015年03月30日 15時14分 JST

アメリカの総合化学会社のモンサントが開発した強力な除草剤「ラウンドアップ」は、家庭菜園の手入れや、大規模な大豆畑などで広く使われている一方で、発がん性があると疑われている。

世界保健機関(WHO)の専門組織、国際がん研究機関(IARC)が2015年3月下旬に発表した報告書では、ラウンドアップの主要成分であるグリホサートは5段階ある発がん性分類リストのうち上から2番目にリスクが高い「発がん性が疑われる」(2A)カテゴリーに分類された。

この「2A」というカテゴリーは、おそらく発がん性があるというレベルだが、このカテゴリーの信ぴょう性に関しては異論を唱える科学者もおり、意見が分かれている。ちなみにこの発がん性リストには、他のさまざまな化学物質のほか紫外線や木工粉塵、アルコール飲料などが含まれている。

このIARCの評価を否定しているモンサントは、ラベルの指示どおりに使用すればグリホサートは安全であることを示す科学的証拠が増えているとして、WHOに報告書の撤回を求めている。

そしてこのモンサントの見解を支援する科学者のひとり、パトリック・ムーア博士は「ラウンドアップを1リットル飲んでも害はない」と主張している。

パトリック・ムーア博士はモンサントとは直接関係のない科学者だが、フランスのケーブルテレビ局「Canal+」(キャナル・プリュス)のドキュメンタリー番組のインタビューで、グリホサートを飲んでも人体にまったく害はないと断言し、実際にラウンドアップを飲んで自殺しようとした人もいるが、無害なのでいつも決まって失敗すると主張した。

そこでCanal+のインタビュアーはムーア博士に対し、グリホサートの入ったグラスを裏に用意してあるので、カメラの前で飲んでみてくださいと持ちかけた。しかし、ムーア博士はそれを拒み、このインタビューはゴールデンライスに関するものだったはずだ、と怒って退席した(博士は栄養を強化した遺伝子組み換え米「ゴールデンライス」の推進者)

以下はそのインタビューの一部を抜粋したものだ(動画は冒頭に掲載)。

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HP「モンサントの不自然な食べ物」。  こちら
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モンサントの不自然な食べ物、予告編
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