2016年2月17日水曜日

福島原発事故が起きた2011年6月07日から6月11日の「阿智胡地亭の非日乗」の記事


2011年06月11日(土)
作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文
【バルセロナ共同】9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま)

 「非現実的な夢想家として」

 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。

 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1・8秒短くなるほどの規模の地震でした。

 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。

 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

 日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

 どうしてか?

 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

 そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。

 日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

 最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)


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事実を直視しないと被害が拡大する
☆一般国民にパニックが起きるのではないかと恐れて、自らがパニックになったエリート官僚たち。その情報隠しをエリートパニックと言う。この非常事態に個々のくにたみの命に関わる重要な情報を隠す権限は役人の誰も持っていない。官邸は国家公務員サイドの立場に立たず、一般の無名人サイドに立つのが使命だ。

それにしてもこういう情報がNHKに洩れ、それをNHKがニュースとして流す!

 民主党政権の足を引っ張るため、エリート官僚たちが水面下でやっている情報操作の一環かもわからないが、それを活用して、NHKは自己責任でこのような事象(リークネタ?)を取り上げだした。☆

元参与 小児がん疫学調査求める6月11日 4時13分 NHKニュース

東京電力福島第一原子力発電所の事故で、4月に内閣官房参与を辞任した東京大学大学院教授の小佐古敏荘氏が、政府に提出した報告書の中で、福島県と近隣の県の子どもたちを対象に小児がんの疫学調査を行うべきだと指摘していたことが分かりました。

小佐古氏は、福島第一原発の事故を受けて、菅総理大臣から内閣官房参与に任命されましたが「福島県内の学校などに通う子どもたちの年間の被ばく量を20ミリシーベルト未満に抑える」とした文部科学省の暫定的な目安に対し、「高すぎる」などと抗議して、4月末に辞任しました。関係者によりますと、参与を辞任する前に政府に提出した報告書の中で、福島県と近隣の県の子どもたちについて「甲状腺がんを発症する可能性があるため、被ばく量を評価したうえで、子どもたちの健康状態を長期的に調べる疫学調査を行うべきだ」と指摘したということです。

 子どもの被ばくを巡っては、政府の対策本部が1000人余りを対象に甲状腺の被ばく量の調査を行い、問題になるような値はなかったとしていますが、調査は一部に限られ、今も不安を訴える保護者が数多くいます。小佐古氏の指摘が政府内でどのように扱われたかは不明で、今後の事故対応の検証の中で取り上げられる可能性があります。

(太字は阿智胡地亭)
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橋下知事が関電を牽制
☆橋下さんは関電に発電関係データを求めてきたらしい。そのコンタクトの中で、関電の情報隠ぺい体質を実感して、これは何かおかしいと感じたようだ。知事がここまで踏み込んで原発について発言するのは彼が最初だ。橋下さんは、わが思いをはっきり言葉にして述べる、日本の政治的指導者としてはこれまでにはないタイプだ。

違和感はあるが、言っていることはブレがなく筋は通っているので、この発言のこれからの展開と拡散を見ていく。☆

橋下知事“節電従う必要ない”
6月11日 0時4分 NHKニュース

関西電力の節電要請について、大阪府の橋下知事は記者団に対し「こういうことにならないように、どれくらいまで節電しないといけないのか、早め早めに手を打って節電対策をしようと思ったが、結局関西電力から一切協力がなく、データがないなかで、5%、10%の節電目標を関西広域連合で決めた」と述べました。

 そのうえで、橋下知事は「これまで一切協力もせずに、根拠もはっきりしないまま示した15%という数字に関して、府県民が従う必要があるかというと、今の段階ではないと思っている。電力が足りない足りないという脅しにしか聞こえず、府県民が『できないよ』となったら、『原子力発電所が必要でしょ』と議論を持っていくようにしか見えない」と述べました。

ただ一方で、橋下知事は、データの開示や、原子力発電から太陽光発電などの再生可能エネルギーにシフトする姿勢を見せれば、協力していきたいという考えを示しました。

さらに橋下知事は、来週13日に八木誠社長と公開で意見交換することを関西電力側に要請したことを明らかにしました。これについて、関西電力は、NHKの取材に対し、データの提供などには応じる姿勢を示す一方で、意見交換については、定期検査中の原子力発電所の再稼働も含めて、夏場に停電の事態を招かないよう今は最大限の努力を尽くしたいとして、13日の意見交換は実現しない見通しです。

(太字は阿智胡地亭)
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2011年06月10日(金)
THINK FUKUSHIMA 神戸パレード 6.11
画像を2回クリックすると拡大。


§兵庫県神戸市:THINK FUKUSHIMA いのちを考える神戸パレード

6月11日(土) 午後1時~4時 雨天決行

〇集会  午後1時~3時 東遊園地(神戸市役所南側 JR三宮南へ徒歩5分)小出裕章さん(京都大学原子炉実験所)、纐纈あやさん(映画「祝の島」監督)もアピールされます。
〇パレード 午後3時~4時 三宮センター街など歩道を中心に元町までを往復

 紹介ブログはこちら

§大阪府大阪市:原発いらん!関西行動 第2波

6月11日(土)

〇午後2:00~2:30 集会

〇御堂筋南下デモ 3:00~4:30

淀屋橋-本町-心斎橋-難波
集合場所/大阪市・中之島公園東エリア
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おかんの昼ごはん ― 5.課題
☆この読者参加のシリーズは読んでいく速度が、どんどん落ちていき、
ゆっくり文字を追いかけていく。じーんときながら。☆

こちら
 
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八軒家南斉ブログ「国難と政府―沖縄戦と東日本大震災」
一部引用・・

震災の廃墟の光景に重なって、戦争を体験したわれわれ年配者には、それに、さきの敗戦の焼け跡がだぶって見える。
66年前のちょうど今月、十八万人の死者を出して、沖縄戦は終わった。市民も巻き込んだ逃げ場のない戦いだった。あと二ヶ月で日本は降伏したのに。

津波のような米軍の二カ月間の攻撃で、日本軍は組織的抵抗を終えた。命令により降伏をゆるされず、最後まで抵抗した日本軍兵士は、敵の徹底した報復の標的となり殲滅された。戦争を知らない人は、ウイキペディアで「沖縄戦」を参照してほしい。海兵隊員スレッジの「ペリリュー・沖縄戦記」(講談社学術文庫)も。
半世紀後、東日本震災に出撃した米軍の「トモダチ」作戦は、日本人に感謝されている。

全文が掲載されているブログはこちら

なお、Macユーザーには縦書きソフトが不適合で読むことが出来ないと聞きますので「続きを読む」に全文を引用します。

八軒家南斉さま、お許しあれ。
六月七日 国難と政府―沖縄戦と東日本大震災

巨大津波のもたらした見渡す限りの廃墟が、毎日のようにテレビにうつしだされる。
しかし、被災地からはるか離れた東京では、国会議事堂が漂流している。連日、政党間の「場外乱闘」がおもしろおかしくマスコミをにぎわせている。「ペテン師」などと罵詈雑言が飛び交う、大義なき個人攻撃。口汚く、聞き苦しい。

視野狭窄の国会議員の頭のなかは、国益よりも、身の振り方、目先の政局対応でいっぱいなのだろう。
そんなひまがあったら、被災地のガレキの山をどうするんじゃ、はたらかないのなら、国会議員の歳費をかえせ、という声もあがる。

震災の廃墟の光景に重なって、戦争を体験したわれわれ年配者には、それに、さきの敗戦の焼け跡がだぶって見える。
66年前のちょうど今月、十八万人の死者を出して、沖縄戦は終わった。市民も巻き込んだ逃げ場のない戦いだった。あと二ヶ月で日本は降伏したのに。

津波のような米軍の二カ月間の攻撃で、日本軍は組織的抵抗を終えた。命令により降伏をゆるされず、最後まで抵抗した日本軍兵士は、敵の徹底した報復の標的となり殲滅された。戦争を知らない人は、ウイキペディアで「沖縄戦」を参照してほしい。海兵隊員スレッジの「ペリリュー・沖縄戦記」(講談社学術文庫)も。
半世紀後、東日本震災に出撃した米軍の「トモダチ」作戦は、日本人に感謝されている。

当時、日本の戦争指導者は、沖縄を、連合軍の本土上陸を阻む「防波堤」と位置付けていたのだ。戦いが終わり、あとには、爆弾と砲弾のすさまじい破壊による瓦礫が残された。
延べ二千機の特攻機による連合軍艦艇への捨て身の攻撃もむなしかった。
巨大戦艦大和も、四月に沖縄に向け海上特攻に出撃、雷撃を浴びて、あえなく海の藻屑と消えた。信じがたいかもしれないが、銃後のぼくらは、7万トンの秘密戦艦「大和」の存在(もちろん沈没も)をしらされていなかった。

五月には、同盟国ナチスドイツは無条件降伏し、世界を敵に回した島国の日本は孤立無援だった。
そんな状況でも無策の戦争指導者は混乱して和平の道を探せず、大空襲で原爆投下で都市を焼き払われ、多大の死傷者を出した。
しかし、なおも徹底抗戦して、一億玉砕しても国体を護持すると言い募る陸軍。沖縄敗戦からわずか三ヶ月後の八月の降伏決定まで、指導者たちの議論が紛糾した。
だれがみても敗戦必至の状況に政府は目をそらした。無策のままむなしく時間を空費し、大都市大空襲と原爆の投下とソ連の火事泥的参戦を招いたのだ。

降伏に至る判断の逡巡により、この年だけで二百万人の失われなくてもよい人命を、日本は失った。ようやく無条件降伏を連合国に伝えたのは八月にはいってからだ。「国体を護持し得て」(終戦詔書)、戦争は終わった。戦禍にたおれた犠牲は300万人といわれている。

昭和以降近年の政府が信用できないのは、国難に際しての決定の優柔不断だろう。国難に遭遇すると、日本の政府指導者たちは、いつも、このようなパターンをとる。難局でもたつくと、ここ一番の合意が得られず、いつも決断がさきおくりされるのはなぜか。縦割り組織間の意思疎通にかけ、責任を持って裁断する権力者がいないこと。

今回の震災では、自衛隊の救援体制だけが、事前にシミュレーションされ、的確に部隊を投入し行動できた。

今回の震災が人災といわれるゆえんは、政府と東京電力の組織運営力によるところが大きい。その底流に長年にわたる根深い権力の争いがあったことがわかった。
前の戦争は、「神州不滅」、精神力で負けるはずがないという思い込み、今回の事故は「原子力の安全神話」に頼りきった点は共通している。日本の英知が結集したはずの原子力行政の破綻。原子力「ムラ」と呼ばれるエリートにゆだねた「国民」の責任なのだろうか。

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これからは今までと違う世界に生きる覚悟がいる
本放送の文字バージョンはこちら

要約 ・(よろしくお願いします)こちらこそ。 ・(東京を初めとして東日本各地の下水処理施設の汚泥から放射性物質が検出されている。東京都大田区の下水処理施設では空気中から毎時2.7マイクロシーベルトの放射線量が検出されたが?)0.05マイクロが普通だから、その50倍であり、とても高い。
・(これは原発から230キロ離れた場所だが?)下水処理場の汚泥には濃縮されて出てくる。これから多くの場所で出ると思う。関西でもそれなりの濃度になるだろう。空気中に広がった汚染が下水に流れこんでくるが、下水処理場は水を処理する過程で汚泥を生み、そこに濃縮されている。・(東京都は、検出された場所は屋内であり、敷地境界で計測したら問題ない数値だったため、誤解を招かないために公開しなかったというが、敷地内に留まるものなのか?)下水処理場の汚泥はコンクリ等の材料として使う。今後はそれをやってはいけなくなり、汚泥の処分がポイントになる。・(配慮して公開しないというのはおかしいと思うが、どうか?)おかしい。下水処理場が毎時2.7マイクロシーベルトという場所になっているのであれば放射線管理区域にして管理するための手続きも必要なはず。・(作業員の方も普通の服装では?)被曝管理もしていないはずで、これまでにどのくらい被曝したかも知りえないまま今に至っている。・(パニックを恐れて情報をストップするのはまかりならんと思うが?)そう思う。マスコミも留意してほしい。・(下水処理場で焼却した灰からは1キロあたり1万ベクレルを超えるセシウムが検出された)すごい量だ。そんなレベルの放射能を取り扱ったことは私は一度もない。・(国は汚泥をセメントとして再利用することを進めている。セメントや肥料にするにあたって1キロあたり100ベクレル以下になっていれば問題ないとしているが?)何度も言うが放射線はどんなに微量でも危険。100ベクレルでも10ベクレルでも危険。社会的にどこまで受け入れ可能なのか判断するしかないが、いま出ている汚泥は猛烈な濃度であり、始末の方針を示す必要がある。・(国が汚泥の汚染の基準を定めたのは5月で、それ以前の分は既に出回っている。セメントにして道路を舗装したら放射線が出てくる?)飛び出してくる。・(1キロあたり100ベクレルのセメントで建物を作ったとしたら、汚染物質で覆われた建物になる。キロあたりは小さくても大量に使えば積算されるものか?)もちろんそう。それは勧められないが、いまや地球上すべてが福島の放射能で汚れている。事故を招いた日本という国は、汚染から逃れられないという覚悟を決めるしかない。が、小学校には使わないというような配慮はあってしかるべきだ。・(江東区の保護者の会が、東京都の汚泥処理施設近くのグランドの土から高い濃度の放射性物質が検出されたと発表した。どういう風に考えたらいいか?)汚泥処理施設で焼却して処理しているのであれば、煙にのって放射性物質が大気中に出てきて、それが周辺に汚染を広げていることはあり得る。放射性物質が出ているのであれば焼却は止めるべきで、続けるならば適切なフィルターなどを設置してから行わないといけない。・(汚泥を置いておく場所も、灰を置く場所もない。どうしたらいいか?)分からない。こんな事故が起きてしまったから、これからは今までと違う世界に生きるしかないと思っていただくしかない。引用元

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大きな余震の予測  地震調査委員会
三陸~茨城沖 M7超余震のおそれ
6月9日 21時56分 NHKニュース

政府の地震調査委員会は、3月に巨大地震が起きた三陸沖から茨城県沖にかけての海域では、今後もマグニチュード7を超える大きな余震のおそれがあり、内陸の一部の活断層でも地震の危険性がこれまでより高くなっている可能性があると発表しました。

政府の地震調査委員会は、9日に開いた定例の会合で、今回の巨大地震が国内の地震活動に与える影響などを検討しました。それによりますと、巨大地震の震源域となった、三陸沖の中部から茨城県沖にかけての海域では、今後もマグニチュード7を超える大きな余震が起きるおそれがあるほか、三陸沖から房総沖にかけての日本海溝に近い沖合では、巨大地震に誘発される形で津波を伴う大きな地震が起きるおそれがあるとしています。

 また、内陸の活断層のうち、宮城県と福島県に延びる「双葉断層」と、本州の中央に延びる「糸魚川-静岡構造線断層帯」のうち、長野県の「牛伏寺断層」の区間、それに、埼玉県西部から東京の多摩地域に延びる「立川断層帯」の3つの活断層では、巨大地震の影響で地震の危険性がこれまでより高くなっている可能性があると指摘しています。地震調査委員会の阿部勝征委員長は記者会見で、「巨大地震から時間がたち、各地の地震の回数は全体的に減ってきているが、どこで地震が起きてもおかしくない状況には変わりがなく、引き続き注意する必要がある」と述べました。

 また、今回の会合では、日本周辺の海底で起きる地震の長期的な評価のうち、巨大地震が起きた三陸沖から房総沖にかけての地震をことし秋ごろまでに、東海地震と東南海・南海地震についても来年春をめどに見直していく方針を決めました。
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「核にノーと言い続けるべきだった」=カタルーニャ国際賞受賞の村上春樹氏
村上春樹氏 被爆国日本は核反対を
6月10日 13時21分 NHKニュース

人文科学の分野で活躍した人に贈られるスペインのカタルーニャ国際賞を受賞した作家の村上春樹さんが、9日、現地で行われた授賞式のスピーチで、東京電力福島第一原子力発電所の事故について触れ、「被爆国の日本は核への反対を続けるべきだった」と述べました。

スペイン北東部のカタルーニャ自治州政府が人文科学の分野で国際的に活躍した人に贈る「カタルーニャ国際賞」が、9日、作家の村上春樹さんに授与され、現地で授賞式が行われました。地元メディアによりますと、村上さんは、受賞スピーチの中で東京電力福島第一原子力発電所の事故について触れ、広島と長崎に原爆を投下され被爆国となった日本にとって「核への反対を続けるべきだった」と述べたということです。さらに、原発事故は2回目の核の悲劇と指摘し、「今回は私たちみずから自分たちの生活を破壊してしまった」と述べたということです。

 また、村上さんは、震災後の日本が復興に向けて進んでいくと訴え、被災者を支援するために、賞金の8万ユーロ(日本円にしておよそ930万円)を寄付する意向を示したということです。カタルーニャ国際賞は、過去にはノーベル平和賞も受賞したアウン・サン・スー・チーさんや文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロース氏が受賞しています。
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人生のうち44年間が冤罪との戦い
布川事件 44年の戦い画面をクリックで開きます。北相馬郡、取手警察署という文字を見ると、かって住んでいた場所の近くで、自分は何も知らなかったけれど、無実を訴え続けていた人がいたのかと気持ちが騒ぐ。
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日本赤十社のいい加減さ
☆3・11以降日本の戦後からの多くの仕組みが、いざと言う時に一般の無名人には何の役にも立たないことが明らかになっているが、「日本赤十字社」の募金の配分遅れにそれが象徴的に表れている。
(社会福祉法人「中央共同募金会」、「日本ユニセフ」も被災者へ配分したと言う新聞報道を寡聞ながら知らない)

平時であれば、決まった手順で募金活動をを行えば、やんごとない立派な方々が役員につかれ、実質的な責任者は厚生労働省の元次官が順番に勤めて日本赤十字社は廻っている。

しかし今回のような未曽有の災害が起きたとき、つまり非常時には全くそれにふさわしい行いをしない。ここに日本赤十字社のお役人らしい文章がある。こちら

これを読むと、日本赤十字社に募金をしてもすぐには何の役にも立たないと言うことのようだ。

本当に自分たちの使命を腹に入れているのなら、前例のないことでもそれを、解決するために提案し、実行する、そういう打つ手はいくらでもある。

どうもこの大きな募金団体はこのまま、平気で全国民の善意を踏みつけ、本当にお金が今現在、必要な被災者を放置するようだ。

 私はアホなテレビ番組に文句を言うのをやめて、テレビのスイッチを切るようになったが、これからはいい加減な募金組織に大事な寄付金を委ねるのをやめて、活動の見えるNPO法人やNGO組織に直接手渡すか、送金しようと思う。

例えばこれはほんの一例だが・・

「神戸大学学生震災救援隊が、5月26日、東日本大震災を受けて神戸大学学生311救援ネットワークと共同で集めた募金71万7006円を、被災地NGO恊働センター(神戸市兵庫区)へ寄付した。

 救援隊と311救援ネットは、3月14日から神戸大内、三宮、六甲道などで募金を行ってきた。募金は現地での支援活動などに使われる予定。

 26日は、被災地NGO恊働センターで、「つぶやき研究会」が開かれており、終了後、救援隊代表の平尾知香さん(法3年)が恊働センター代表の村井雅清さんに募金の入った封筒を手渡した。

 募金を受け取った村井さんは「たいへんありがたい。多くの人の小さな善意が集まって、大きなお金になってる。このことをうけとめないかん。募金は足湯関係の活動に使うことになると思う」と話していた。

 恊働センターは、阪神・淡路大震災を機に発足したNGO団体で、自然災害の救援活動を行っている。救援隊とは関係が深く、東日本大震災でも共同で被災地で足湯などのボランティアを行った。」

◎役所は法律や前例がなければ動かないというか動けない。
全国的な募金組織は殆どが中央官庁のOBの天下り先で、2次的な役所の性格を持っている。そのような「官」に募金を任せること自体に無理があるのだろう。「民」に任せれば、なるほど不平等や使途の不明確などと言う言葉でいわれる問題は必ず起きる。

しかし前にも書いたが、本当に困っている8割の一般の無名人を、2割のいい加減な人を恐れて、救わないと言う手はない。今からでも手元に溜まった募金をビニール袋に詰めて、手渡しに行ったらいいのでは。受取証票は最新技術の顔写真のデジタル化で十分。

なお、これからの長丁場を覚悟して東日本大震災の被害者の為に活動しているNPOやNGOのサイトには、こちらとかこちらなどもある。
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2011年06月09日(木)
スーザン・ボイル韓国バージョン
☆う~ん、なんだかなあ・・・☆
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法制審議会は迅速な進行を 落合洋司弁護士のブログから
全文引用・・

村木さん、周防監督ら 取り調べ可視化で法制審議会委員に
02:18
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110607/trl11060721390012-n1.htm

「取り調べや供述調書に過度に依存した捜査を見直し、「おとり捜査」や「司法取引」といった新たな捜査手法の導入も含めた包括的な議論が行われる予定。最終的な答申までには数年かかる見通し。」

数年、というのは長すぎますね。また、専門家以外の意見を反映させることは意義のあることですが、新たな捜査手法の導入、といった、専門知識、経験がないと判断が難しい問題に、非専門家がどこまで切り込めるかという問題もあると思います。

私自身は、こうした法制審議会での議論より、国会で特別委員会を作り、その下に、学者、実務家により結成された専門家チームを置いて、諸外国の視察や検討を徹底して行い原案を作成し、議員立法により大改革を断行する、といった手法が適当ではないかと考えており、そうでもしないと、この難題に、速やかに道筋をつけることはできないのではないかと思っています。



引用元はこちら
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山本太郎俳優を引退?
山本太郎、俳優を引退 画面をクリック。
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ある中国人ジャーナリストが見た日本のメディア
【北京発レポート】
中国人は日本の不信任案騒動をどう見たか――
理解不能の政争に重ねる昔暴れた日本人の姿と
高まる政治安定化への願い

一部引用・・

筆者はときどき日本へ取材に出かけている。同業者の新聞記者と菅さんについて議論したことがある。いろいろな記者から「とにかく辞めてもらいたい」という話を聞いた。

 本物のジャーナリストならば、日本の将来について考え、それを記事にする。また新聞社は復興のための調査報道と復興企画チームを作り、世論として政府に強く要望すべきだろう。しかし、筆者の読んだ限り、新聞にそのような記事はほとんどなかった。むしろ日本の政府関係者の言葉尻、行動の一部を取り上げて厳しく批判する記事をたくさん見て、驚愕している。

 政府を含む社会動向をチェックして、さらに未来社会の建設に意見することがマスコミの役割だと、二十数年前に日本でジャーナリズム教育を受けたときに聞いた言葉は今も耳に残っている。しかし日本の大新聞などは、どこまでその義務を果たしているのだろうかと、筆者は疑問を感じる。

全文はこちら
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放射性ストロンチウムの記事
11か所でストロンチウム検出
6月9日 4時24分 NHKニュース

東京電力福島第一原子力発電所の事故で、国が福島市や浪江町など福島県内11か所で骨に蓄積する性質のある放射性ストロンチウムの土壌調査を行った結果、すべての地点で検出されました。専門家は「量はごく微量だが、もっと観測点を増やして飛散の実態を解明すべきだ」と指摘しています。

文部科学省は、ことし3月下旬から5月中旬にかけて福島市や南相馬市、それに二本松市や浪江町、飯舘村など福島県内10の自治体の11か所で土を採取して分析を行いました。その結果、11か所すべてから放射性物質のストロンチウム90が検出されました。

 ストロンチウム90は、原発の燃料のウランが核分裂するときに出来る放射性物質で、放射線の量が半分になる「半減期」が29年と長く、カルシウムと性質が似ていて体内に吸い込むと骨に蓄積し、がんを引き起こすおそれがあるとされています。検出された値は、最も高かった浪江町で土壌1キログラム当たり250ベクレル、飯舘村では1キログラム当たり120ベクレルでした。

 そのほかの地点では2ベクレルから18ベクレルで、原子力安全委員会は「検出された値は各地で検出されている放射性セシウムに比べて、ごく微量で、土の中にあることなどから、健康に直ちに影響するものではない」と説明しています。また、原発からおよそ60キロ離れた福島市内でも検出され福島県内の広い範囲に飛散し、ほかの放射性物質と同じように原発の北西方向で高い値になる傾向にあることが分かりました。

 これについて放射線の影響に詳しい福島市の医療生協わたり病院の齊藤紀医師は「検出された量は、ごく少ないが、ストロンチウム90は骨に蓄積するなど健康影響がある放射性物質だけに、観測点をもっと増やして、飛散の実態を解明した方が市民の不安解消につながる」と指摘しています。今回の結果を受けて文部科学省は観測点を増やす方向で検討するとしています。
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2011年06月08日(水)
6月7日にクリップした記事

「私も、被ばくした」――蓮池透が語る、原発労働の実態(前編)  

☆20年以上東京電力の福島原発と本社に勤務した人の話。

 大企業では社員と下請けの差はどこにもあるが、原子力発電所の現場ではその差が放射能の被ばくの有無に直結している。つまりは下請けは、その下請けは、その・・みな命をカネに変えている。

それをベースにして各地の原子力発電所は実際に電気を起こしている。
その電気でこのパソコンを使ってこの文を書いている。

現場の非社員のこの労働環境のことは長年、厚生労働省のお役人様も、電力会社の経営幹部も労働組合幹部も、御用学者たちも、大手メディアも見て見ぬふりをしてやり過ごしてきた。

そのことを蓮池透は直截に話すわけでないが、読んでいるうちにそれらのことが透けて見えてくる。☆  こちら

震災復興財源をどうするか? 忘れてはならない「世代間公平」の視点

一部引用・・

「15~20 兆円の追加的支出をすべて国債の追加発行で賄い、将来時間かけて返済していくという選択は、人口が増加していて、経済成長率が高く、政府債務・GDP比率が低いという経済では、正解だ。
残念ながら、現在の日本経済は、この3 条件をすべて満たしていない。
「復興国債」を追加発行して、10 年後に返済する、というのでは、退職、年金生活に入る比較的高所得のベビー・ブーム世代の人は負担を逃れ、これから10 年の間に労働市場に参入する比較的低所得の若年層に負担をシフトする。
…(中略)…
「復興国債」のアイディアはツケの先送りで、著しく世代間の公平性を欠く。
こうしてみてくると、「増税か、国債か」、という選択肢の立て方が間違いだ。正しい選択肢は、「今生きている世代が負担するのか、将来世代が負担するのか」、ということである。
低成長、人口減少のなかで、次世代にツケを回すのは止めよう。」

 全文はこちら 
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“はちきん”土佐女、村木さんを使わな損ぞね
☆江戸時代からのお上のお取調べは今も、「やりほうだいしほうだい」の伝統として、「捏造される検事調書」に受け継がれていることが、辞めた検事の話で次々と表に出ている。

取調べの全面可視化を受け入れなければ、この伝統をまだまだ続けることが出来るので検察上層部はこれからも、しぶとく全面可視化にならないように身を挺して各方面に働きかけるだろう。

そういう意味ではいま法務大臣が江田五月だというのは目の上のタンコブだ。江田五月は元裁判官で大きく言えば“法曹ムラ”の一員であり、内部事情に詳しい。自民党時代のお飾り法務大臣と違って口先で丸め込むわけにはいかない。

そして何より江田はいま制度改革をやらないと国家が冤罪をまだまだ作ることと、そのことで「法曹むら」全体が内部腐敗をきたし、若い優秀な人材が腐っていくことを怖れている。

委員の一人になった周防映画監督の『それでも僕はやってない」のビデオかDVDを是非見て欲しいが、この映画を観ると警察検察の最前線が、一般の無名人をいまどう扱っているか実感する。☆

村木さんら可視化で委員に 法制審特別部会

2011年6月7日 12時30分 東京新聞

 江田五月法相は7日の閣議後記者会見で、取り調べの録音・録画(可視化)の範囲拡大などを諮問した法制審議会の下に特別部会を設置し、厚労省文書偽造事件で無罪となった元局長村木厚子さんら26人を委員に選んだことを明らかにした。初会合は6月29日。

 江田法相は村木さんを選んだ理由として「自らの体験を踏まえて、適切な結論を導くために貢献してもらえると思う」と話した。

 特別部会は、大阪地検特捜部の不祥事をきっかけに設置された「検察の在り方検討会議」の提言を受けたもので、刑法や刑事訴訟法などの改正を目指す。法相は5月、取り調べの可視化など捜査や公判の抜本的な見直しに必要な法改正を法制審に諮問していた。

 他の委員は、痴漢冤罪事件をテーマにした映画を撮影した周防正行監督や検討会議メンバーだった元検事総長の但木敬一弁護士のほかに、法曹三者、法学者、経済界、労働界などから選ばれた。

(共同)
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2011年06月07日(火)
河北新報の苦難の震災報道の日々
☆こんどの大震災が起こる前は、仙台にある河北新報や岩手や福島の地元紙である岩手日報、福島民友新聞などその存在すらしらなかった。
 それは東日本在住の方々が兵庫県には、神戸新聞という読売新聞や朝日新聞よりも、宅配の購読者が多いローカル新聞があることをご存じないのと同じだ。

今回、私は共同通信と47社の加盟新聞社のサイト「47NEWS」で、これらのローカル新聞の記事を読むことで、大手新聞やテレビが電話取材しかやらない中、いろんな事実や現地情報を知ることが出来た。

地元密着新聞には常に2面性がある。

 新聞資本が地元のエスタブリシュメントのものであり、そのためその都市を仕切っている旦那衆の勢力に対抗できないことが多々あることだ。

もう一面は、本社在京記者クラブ系大手新聞社の駐在記者が、いつ東京本社へ戻れるかとそればかり気にして、地元に密着する努力を怠る中で、自分がその土地の生活者であるという立ち位置と目線で取材した記事を書いていることだ。この路線をいくことで地方紙は確かにネット時代にも生き残る可能性があると思う。☆

「被災地のメディアだからこそできることがある」河北新報社・佐藤和文メディア局長インタビュー

一部引用・・

「自分達の地域が大変なことになった」という意識

―河北新報社では、震災時はどのように取材されていたんでしょうか?
佐藤:今回の震災の場合は、まず電気・インターネットが停まってましたから、記者が取材に行っても現地から記事を送れないんです。ネット社会ではあり得ないことが起きたわけです。

 それが福島、宮城、岩手、青森と広大な地域で起きたわけです。我々の支局も販売店も流されて、亡くなった方もいますし。そういう中で、本社や総局を拠点に取材活動をするんですが、仙台の本社から毎朝何時にバスを出すということで、本社から記者を乗っけて目的地まで行って、夕方に迎えに行って、夜に本社で原稿を出すということをやっていました。そういう活動を1~2カ月続けてやるわけですよね。彼らは私同様、仙台市内に住まいがあるので、ある意味、被災者なんですね。身の危険を冒して仕事をしているわけです。
 
 私も新聞社の中でネットやっているので、ネット社会の中でメディアに対してどんな風に批判られているのかをよく知っています。「ジャーナリズムなんか、別に新聞社じゃなくてもできるんだ。個人でもできるんだ」と。それは私もそう思いますが、今回の震災のように非常にシビアな状況になったとき、「取材者として向き合うパワーが私達の社会のどこにあるのか?」と考えてしまうんです。

すると、新聞批判はいろいろありますが、やはり新聞社の役割はあると思っています。弊社の場合は、百年間も東北地方に向き合って仕事をしてきているわけで、「自分達の地域が大変なことになった」という意識があるんですよ。だからこそ、毎日、記者が泥だらけになって現場を歩くわけです。こういうことを日本のジャーナリズムでやれる集団って、他にはそんなにはないだろうな、と思っています。

全文はこちら
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6月6日にクリップした記事
〇生きることに意味はないが甲斐はある「それでも人生にイエスと言う」 
 
  こちら

〇じつはもっとヤバイ。使用済核燃料プールの問題 こちら

〇「子供を放射能から守れ」 全国に広がる母の願い こちら

〇横浜市資源循環局・金沢工場を訪問 こちら

〇国旗問題再論 内田樹 こちら

〇「冬の兵士」とウィキリークスがあらわにする戦争の姿 こちら

〇IT屋の見る国民総背番号制度  こちら

〇IT業界ではなぜ「うつ病」が多いのか過酷な労働で衰弱していく技術者たち 

 こちら

〇平成23年原子力事故による被害に係わる緊急措置に関する法律案
 
 こちら

〇科学者の日記110605 今、もっとも重要なこと こちら
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紙一重の合憲。君が代最高裁判決。

☆3人の裁判官の長文の補足意見を読むと、新聞で報道された見出しとは別の意図を含んでいるという論考。この判決についての論評はこれから月刊誌にはいくつか出るだろうが、鳥の目と虫の目で見たこの論考には重要な内容がある。☆

一部引用・・

注目されるのは、3 人の裁判官の長大な補足意見が付いたことである。最高裁のホームページからダウンロードしたPDFファイルで全32頁(12454字)。そのうち判決本体の法廷意見は7頁半(5448字)だが、3人の補足意見が23頁(18527字)にもなる。実に判決の77%が補足意見で占められている。憲法判断を行う大法廷で反対意見や補足意見が多く付くことはあるが、小法廷で8割近くが補足意見というのも珍しい。

まず、3人とも共通して、個人の歴史観・世界観が内心にとどまる限り、絶対的な保障を受けることを確認している。問題は、それが「外部的行動」となったときの評価である。竹内行夫裁判官は、「外部的行動に対する制限を介して、結果として、歴史観ないし世界観について間接的な制約になることはあり得る」として、本件がそれにあたるとする。

 その上で、起立斉唱行為が本人の歴史観等と一体不可分なものとは言えないから制約できるというアプローチ(前述のピアノ伴奏拒否事件最高裁判決の多数意見)は採らないと断言する。竹内裁判官は、人の歴史観等と外部的行動との関連性の程度もまた、個人の内心の領域に属するから、それを一般的に決めることはできず、それをやれば「個人の内心に立ち入った恣意的な判断となる危険」があるとする。

つまり、本件起立拒否が本人の歴史観等と「不可分一体なものではない」と簡単に決めつけてはいけないというのである。それゆえに、「間接的制約」となる「外部的行動」への制限は、「思想及び良心の自由についての事実上の影響を最小限にとどめるように慎重な配慮」が必要であり、制約の必要性・合理性の審査にあたっても「特に慎重な較量」が求められるとしている。イラク戦争時の小泉内閣の外務事務次官だが、裁判官としての議論の仕方は誠実である。

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60歳以上の原発現場応援隊(福島原発暴発阻止行動隊)がニコニコ動画に呼ばれた。

動画はこちら

目的や活動の現況などを5人のメンバーが質問に答えて話します。

注)ニコニコ動画の会員のみ視聴可能かも知れませんがクリックして試してみてください。

インタビューの記事はこちら
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